玉木雄一郎の学歴は?政界のサラブレッドと言われるその学歴と経歴を追って見た!

政治家

玉木雄一郎さんは幼少期より学業に秀でた少年でした、学業だけでなくスポーツやリーダーシップも備わった優秀な少年期を過ごして来たのです、今回はそんな政界のサラブレッド玉木雄一郎さんの学歴や経歴について出来るだけ詳しく調査してみました。ぜひ最後までお読み下さいね。

玉木雄一郎の学歴

花子
花子

玉木雄一郎さんって学歴がすごいわね!

意外と知られていないけど文武両道にすぐれた秀才なんだよね

 


玉木雄一郎さんが卒業した小学校は「寒川町立神前(かんざき)小学校」です。

この学校は後に「さぬき市立神前小学校」に統合され、後に2019年になってから廃校となってしまいました。

玉木雄一郎さんは小学校の時から勉強はよく出来た少年でした。

勉強だけでなくスポーツも万能でバレーやサッカー、水練などが得意でした。

とくにサッカーが大好きでブラジルへの留学を考えたほどでした。

学問がよく出来ただけに小学校の卒業文集では大きくなったら「国連の事務総長」になりたいと思っていました。

中学生になると地元の寒川町立天王中学校へと入学しました。

この中学校も寒川町が2002年に町村合併でさぬき市になった後の2013年に廃校となってしまいました。

玉木雄一郎さんは中学校では野球部のキャプテンを務めていました。

ポジションはピッチャーでした、この頃からすでにリーダーシップが備わっていて廻りからの信頼が厚かったのですね。

この中学校時代に始めて海外旅行にでかけており、グアム島へ行ったそうです。

そこで始めてアメリカ文化の一端身を持ってを知る事が出来たそうです。

玉木雄一郎さんが卒業した高等学校は「香川県立高松高等学校」でした。

この学校の偏差値は70で香川県でも超難関校として有名な学校でした。

この学校は1893年開校の伝統ある学校で香川県では古くから名門の進学校として有名でした。

毎年国立大学や有名私立大学への多くの合格者を輩出していることでも知られています。

玉木雄一郎さんは高校ではバンドを組んでギターを担当していたということです。

楽譜を読むことにも長けていて自分で作曲することも多かったそうです。

そして高校2年生の文化祭では実行委員長を務め、ダンスイベントなどを企画して2年生でありながら学生達の信頼も厚く、中学、高校と高いリーダーシップを発揮していたのです。

政治家としての素質がこの頃から備わっていたのですね。

もちろん高校時代も文武両道でスポーツも大好きでした、体育の先生から陸上部への誘いを受けるほどだったのです。

ですから玉木雄一郎さんは勉強一筋のガリ勉タイプではなかったのです。

この高校の有名な卒業生の中には菊池寛(作家)、高畑淳子(女優)、藤澤恵麻(女優)などが名を連ねています。

学業もよく出来た玉置雄一郎さんは高校を卒業すると名門の東京大学に1浪して入学しました。

学部は法学部でした、東大法学部と言えば日本の文化系では最難関と言われるほどで多くの政治家や官僚を輩出していることでも有名です。

東京大学では陸上部から十種競技に転向するほどのスポーツマンぶりを発揮しています。

10種競技とは

  • (1日目)      (2日目)
  • 100m走       110mハードル
  • 走り幅跳び      円盤投げ
  • 砲丸投げ       棒高跳び
  • 走り高跳び      やり投げ
  • 400m走       1500m走

以上の競技を2日間にわたって行いその合計点を競います。

 

この優勝者には「キングオブ・アスリート」として称えられます。

玉木雄一郎さんは高校時代にバンドを組んでいたほどに音楽に対しても長けており、歌うことも大変上手だったようです。

大学時代は友達と連れ立ってカラオケにもよく出かけてあまりの上手さに芸能事務所からスカウトを受けた経験もあるそうです。

もしそのまま芸能界に入っていればそこでも有名になっていたことは間違い無いでしょうね(^_^)

 

玉木雄一郎の生い立ち

玉木雄一郎さんは国民民主党の代表として、2024年10月27日に行われた「第50回衆議院議員総選挙」において7議席からなんと4倍の28議席を獲得して大躍進を遂げ、一躍時の人となりました。

今、日本で最も有名な政治家の一人であることは間違いありません。

今回はそんな玉木雄一郎さんの学歴や生い立ちについて調査してみることにしました。

玉木雄一郎さんは香川県大川郡寒川(さんがわ)町(現・さぬき市)生れの55歳です。

お父さんは寒川町で獣医師をやっており、おじいさんは農業をやりながら大川農業協同組合の組合長を任される人望のある人でした。

寒川町は鴨部川、津田川の2川が流れており水量が豊富で昔から米作やタバコ、蔬菜(そさい)の栽培が盛んでした。

玉木雄一郎さんは両親と3兄弟の長男として誕生しました。

玉木雄一郎さんもちいさい頃からおじいさんと一緒に畑仕事を手伝うこともあり、田植えや、麦まき、その他の野菜作りを学んだ事もあり、肥料をやったり農薬の散布を手伝ったりしたことがあったそうです。

そのため小さいながらも、作物を作ることの大切さをおじいさんからしっかりとまなぶことが出来たそうです。

玉木雄一郎さんはいわゆる2世議員ではありません。

小さい頃からおじいさんの農業や、お父さんの家畜を大切にする姿勢をしっかりと自分自身に取り込んで行ったのでした。

そのため政治家になってからも庶民目線で世の中を見つめることの出来る希有な政治家として成長してきました。

 

玉木雄一郎の公務員時代と政治家への道

 

小学校の時から一貫して優等生で通して来た玉木雄一郎さんは大学を卒業すると国家公務員試験1種に合格して、1993年(平成5年)に大蔵省(現・財務省)に入省します。

この試験に合格して大蔵省に入省出来るのは東大合格者でも難しいといわれているほどなのです。

これを一発で合格して入れたのはいかに玉木雄一郎さんが優秀だったかということの証しですね。

こんな息子を持った両親はどれだけ鼻が高かったでしょうか(^_^)

優秀な玉木雄一郎さんは1995年になると大蔵省から米国ハーバード大学ケネディ・スクールに留学をすることになります。

そして2年後には同校からMPA(公共経営修士〈先門職〉)を取得します。

この資格は国会議員の方が取得されていることが多いのですが女優の「秋吉久美子」さんも取得されています。

その後は大蔵省から外務省に出向、2001年からは大阪国税局総務課長就任、2002年には内閣府へ出向。

第1次小泉内閣の元に行政改革大臣の秘書を務め、以降累計3代の同大臣専門秘書官を勤め上げます。

その実績を買われ第2代行政改革大臣の金子一義から「政治家にならないか」との誘いを受けます。

そして当時の自由民主党幹事長の安倍晋三さんと面談し玉置雄一郎さんの出身地以外の選挙区からの立候補を勧められました。

しかし玉木雄一郎さんはどうせ立候補するなら先祖のお墓のあるところから立候補したいと思い、この誘いを一旦断ります。

そして玉木雄一郎さんは選挙に立候補するために2005年になると、財務省主計局主査を最後に財務省を退官したのでした。

そして同年9月に「第44回衆議院議員総選挙」に民主党から立候補します。

安倍晋三さんとも相談した経緯からすると自由民主党から立候補すると思われましたが、玉木雄一郎さんは自由民主党の派閥政治ではなく政党同士の争いで政権交代を目指したからでした。

この頃からすでに玉木雄一郎さんは自由民主党の派閥政治に対してウンザリした思いがあったのです。

しかしこの選挙では玉木雄一郎さんは自由民主党候補に大差をつけられて落選してしまいます。

さりながら玉木雄一郎さんは決してくじけることはありませんでした、敗戦の原因をしっかりと分析し再起を期します。

そしてかつて内閣総理大臣を務めた玉木雄一郎さんの地元の「大平正芳」の地盤を受け継ぐことに成功します。

そしてその後に行われた「第45回衆議院議員総選挙」において前回敗れた自由民主党の候補に今度は逆に大差をつけて大勝し見事に当選を果たします。

こうして玉木雄一郎さんの政治家人生のスタートの幕が切って落とされたのです。

 

 

玉木雄一郎学歴のまとめ

玉木雄一郎さんは幼少期より学業優秀でどの学校においても常にトップクラスの成績を収めて来ました。

そして学業だけでなくスポーツも万能、加えてそのリーダーシップも群を抜いており、運動部のキャプテンや文化祭における進行で重要な地位を果たすなど、文武両道に長けた青年として育っていきました。

大学も日本の最高学府である「東京大学法学部卒」という学歴を誇っているのです。

その後入省した大蔵省(現・財務省)での活躍も目を見張るものがあり、その活動の行き着くところが政治家への道でした。

一度は落選するも次の選挙からはすべて当選を果たしいまでは「国民民主党」の党首としてその国会における存在感を大なるものにしているのです。

そして「第50回衆議院議員総選挙」におて議席をなんと4倍に伸ばす大躍進を遂げたのです。

まさに玉木雄一郎の面目躍如たる一面を見せつけられる思いでした。

玉木雄一郎さんは今問題になっている2世議員などとは違い、常に国民目線で世の中を見つめられる人物なのです。

現在、玉木雄一郎さんは一部週刊誌で不倫疑惑について報道されたことがありました。

その事実を素直に認め反省すべきは反省し、謝罪すべきは謝罪し、その事実から逃げることはしませんでした。

そして「党倫理委員会」の調査の結果今年2025年3月3日(月)までの間、党役職停止処分を受け隠忍自重の最中であります。

 

この停止処分が空けた暁には玉木雄一郎さんは再び「国民民主党の代表」としての活躍が大いに期待されているのです。

最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。

玉木雄一郎のプロフィール

  • 生年月日        1969年(昭和44年)5月1日(木)55歳
  • 出身地         香川県大川郡寒川町(現・さぬき市)
  • 学歴          東京大学法学部(卒)ハーバード大学ケネディ・スクール(卒)
  • 前職          国家公務員(大蔵省 現・財務省)
  • 公式サイト       たまき雄一郎(故郷がすきだから)
  • YouTubeチャンネル   玉木チャンネル

合わせて読みたい玉木雄一郎の関連記事 ⬇

玉木雄一郎の経歴は?日本の救世主になれるのか?その経歴から実力を検証してみた!
第50回衆議院議員総選挙において大躍進を遂げた国民民主党を牽引したのが玉木雄一郎さんでした、玉木雄一郎さんは常に国民目線で政治を捉えて国民がまず豊になることを第一目標に主眼をおいているのです、こんな政治家が一人でも多く誕生してほしいものですね。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました