佐藤浩市の前妻、現妻、父親三國連太郎との関係を検証してみた

俳優

男性には二通りのタイプがあって歳を重ねると段々年寄りっぽくなってわびしくなっていくタイプ、反対に年齢を重ねるごとにダンディになり、魅力が溢れて来るタイプ、佐藤浩市さんは正に後者の典型的なタイプと言えるでしょう。今回はこの佐藤浩市さんの元嫁さんや父親の三國連太郎さん、現嫁の広田亜矢子さんの現在を総まとめにしてみました。

俳優佐藤浩市前妻の序章

俳優としてますます磨きのかかる佐藤浩市さん、あの有名な昭和の大物俳優「三國連太郎」の長男として生れました。

現在佐藤浩市さんは62歳となっています、この間に佐藤浩市さんは一度離婚を経験されていますが、現在は再婚されて幸せな家庭生活を営んでいます。

父である三國連太郎(2013年4月没)さんが亡くなってから早や10年が過ぎています、この間の出来事には本人も感慨深いものがあるようです。

息子の寛一郎さんも27歳と立派な青年に成長されて、今は父と同じ道を歩み始めているのです。

 

佐藤浩市前妻:佐藤浩市プロフィール

生年月日:昭和35年(1960年)12月10日(現在62歳)

出身地:東京都新宿区

子供:寛一浪(27歳)現妻との間の子

配偶者:広田亜矢子(1993年結婚)

両親:三國連太郎、石原とし子

学歴:千代田区立九段中学校、昭和第一高等学校、玉芸術学園映画学科(1992年閉校)中退

所属事務所:テアトル・ド・ポッシュ

佐藤さんの幼少期は父親の三國連太郎さんに仕事中の父の職場であった東映東京撮影所や日活調布撮影所に連れて行ってもらいました。

そのような影響もあって自分は将来絶対に俳優になるんだという気持ちがはやくから芽生えていたようです。

玉芸術学園映画学科在籍中の1980年にNHKの『続・続事件月の景色』で俳優デビュー映画『青春の門』で1981年にブルーリボン賞新人賞を受賞。

続編『青春の門 自立編』で1982年に映画初主演を務める。

 

佐藤浩市前妻は美人モデル

佐藤さんは離婚を一度経験されています、最初に結婚されたのは1986年にモデルの女性と結婚して、子供さんが一人誕生しましたが、1989年に女優の「手塚理美」さんとの不倫が原因で離婚されました。

この最初の奥さんはモデルさんだった方です、名前や画像などの詳しい情報は明らかになっていませんが1960年生れなので佐藤浩市さんとは同い年ですね。

この二人の馴れそめは友人が開いたパーティーで出会ったそうで、佐藤浩一さんが彼女に一目惚れしたそうです。

結婚に至った理由はどうやらできちゃった婚だったようですね。

1985年7月に二人は結婚して同年9月には息子さんが誕生しました。

初めての息子さんが誕生したときには出産に立ち会うほど喜んでいた佐藤浩市さんでしたが、その結婚生活は長続きせず、翌年の1986年3月に別居生活に入り、9月には離婚が成立しています。

離婚後の妻は子供さんを連れて千葉の実家に戻り子育てをされていたようです。

佐藤浩市さん自身も前妻と別れて以来息子さんとは一度も会っていないそうです。

子供さんが誕生した時はあれほど喜んでいた夫妻でしたがどうして離婚に至ったのでしょうか。

マスメディアの報道によると離婚の原因を作ったのは佐藤浩市さんが女優の「手塚理美」さんとの不倫が原因と報じられています、これはウィキペディアにも載っているほどです。

浮気が原因とされていますが、元々相性が合わなかったのが原因とも言われています。

浮気相手の手塚理美さんとはこの不倫が表沙汰になったことで破局しています。

その後、手塚理美さんは俳優の真田広之さんと結婚されましたが、真田広之さんの不倫が原因で二人は離婚しています。

因果応報ということでしょうか。

 

佐藤浩市前妻:佐藤浩市現在の妻

現在の妻である元舞台女優の広田亜矢子さんとは1993年に結婚されています。

広田亜矢子さんはもともと佐藤浩市さんの熱烈な大ファンで追っかけをしていたほどでした。

そして佐藤浩市さんに近づくために舞台女優となり、芸能界入りを決意するほどでした。

このことは彼女自身が後に語っているほどです、ここまで惚れ込まれた佐藤浩市さんはほんとうに幸せ者ですよね。

そして佐藤浩市さんが主演映画の「愛を積むひと」の舞台挨拶ではサプライズで広田亜矢子さんが登場。

佐藤浩市さんに出した手紙を妻役で共演した「樋口可南子」さんが読んで樋口可南子さんと一緒に涙を流したことも大きな話題となりました。

この広田亜矢子さんは佐藤浩市さんの認知症になった母親の介護も献身的に行っていたのです。

ちなみに、歌手の「松村和子」さんも野口五郎に憧れて歌手になったそうですよ。

 

佐藤浩市前妻:父三國連太郎との関係

ここで佐藤浩市さんと父親である三國連太郎さんとの関係を検証してみましょう。

父親の三國連太郎さんは、生涯で4度の結婚歴があり、佐藤浩市さんは三國連太郎の三人目の妻である石原とし子さんとの間に出来た子供です。

石原とし子さんは当時は神楽坂で一番の売れっ子芸者でした。

三國連太郎さんの映画撮影の合間に知り合ったそうで、いつの間にか交際に発展し1957年に彼女と再々婚された後、1960年に男の子が誕生しました、それが佐藤浩市さんでした。

三國連太郎さんは佐藤浩市さんの他に娘さんもいらっしゃるようですが一般の方で、詳しいことは分かっていません。

しかし浮名を流し続ける三國連太郎は1962年にまたもや家族を捨てて、当時は新人女優であった太地喜和子と不倫をし、彼女の実家で暮らし始めます。

しかしながら、それも3ヶ月しか続かなかったと言われています。

その後1972年10月に佐藤浩市さんの母親であるとし子さんとの離婚が成立したのです。

佐藤浩市さんがその時自分を捨てて出て行く父親である三國連太郎さんからこのような言葉を言われたのです。

「ここでお前と別れる、おれは今日から他人になる身だ、お前とは一切関係を絶つ、これからは一人で一生懸命に生きるんだぞ」

そのような言葉を残して父三國連太郎さんは佐藤浩市さんから離れて行ったのでした。

なんともまあ無責任な言葉ですよね、浮気は芸の肥やしであるなどと都合の良いことを言って昭和の俳優にはこういった人が結構いましたよ。

現代ならばネット上で大バッシングを受けること間違いなしでしょうね。

その後は母親と二人の生活がはじまるのですが、この母親にも内縁の夫ができて、佐藤浩市さんにとって居場所がなくなり高校2年生の時に家出をして、アルバイト生活を始めます。

そして玉芸術学園映画学科在学中の1980年に役者としてデビューを果たしています。

1986年に「人間の約束」で親子共演をしてから10年後の1996年に公開された映画「おいしんぼ」でも佐藤浩市さんと父親の三國連太郎さんは共演されました。

この時の記者会見で二人はお互いを「佐藤君」「三國さん」と呼び合い、俳優論でも対立したことから親子の確執と報じられたのです。

しかしそんなことは全くなく、佐藤浩市さんは後にこの共演を評して「本当にやっておいて良かったと語っていたのです。

あれをやらなかったら本当に僕はいまでも後悔をしつづけていることだろう」と語っています。

そして親子や兄弟のいる役者に向けては「共演出来る機会があればやっておいた方が絶対に良い、でないと後になって後悔するよ」と語ったと言われています。

 

佐藤浩市前妻のまとめ

佐藤浩市さんの父親は昭和の名優三國連太郎さんでした。

佐藤浩市さんは元モデルの前妻との間に子供が一人誕生しましたが、その後離婚して子供は妻が引き取り育てています。

佐藤浩市さんは元嫁と別れてからは一度もその子供さんとは会うことがなかったそうです。

その子供さんの運動会などには祖父である三國連太郎さんが父親代わりで参加したこともあるそうです。

その後に結婚した広田亜矢子さんとの間に出来た子供が今俳優として活躍している「寛一朗」さんです。

2020年に大腸ポリープの摘出手術を受けましたが、順調に回復されて今は現役俳優としてますます頑張っておられます。

ちなみに佐藤浩市さんは東北芸術工科大学で文芸学科客員教授に3年間就任したこともあります。

 

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