辻元清美さんは今、参議院議員となり、庶民の味方となって大活躍をしてくれているのです。今回はそんな辻元清美さんの生い立ちや学歴について出来るだけ詳しく調査してみました。ぜひ最後までお読み下さいね。
辻元清美の生い立ち
辻元清美さんは現在立憲民主党の参議院議員として日夜国民のために尽力されています。
そんな辻元清美さんの出身高校や学歴、生い立ちについても調査して見たいと思います。
辻元清美さんが誕生したのは奈良県吉野郡大淀町でした。
その後お父さんの仕事の都合により大阪へと引っ越して来ます。
当初、辻元清美さんのお父さんは大阪の船場にある繊維問屋街で小さな洋服屋さんを営んでいましたが、生活は非常に苦しかったようです。
小さな部屋に間借りしていました、それは6畳一間にお風呂も付いていないような部屋だったということです。
そんな小さな部屋で家族4人が慎ましやかに暮らしていたのです。
しかし、その頃は繊維不況で商売が思うように行かずにお父さんのお店はあえなく倒産してしまいました。
そんなことが重なり辻元清美さんは、家計が苦しくなってくると奈良にある親戚の家に弟と一緒によく預けられたそうです。
辻元清美さんはこれが本当に嫌だったのです、家計が苦しいからと言って何故私がこんな目に会わなければいけないのか、常に思っていたのです。
この奈良の親戚の家に預けられていたときに辻元清美さんさんはいわれのない差別体験をしていたのです。
偏見を持った村の人達から「部落の子供達とは遊んだらあかん」などと言われたり、「朝鮮人は帰れ!」などと大人達からも差別されたのです。
当然まわりの子供達にも差別を受けてしまいます。
しかし、辻元清美さんさんは「部落も朝鮮人も私らもおんなじやないか、なんでそんなことを言うんや!」と大人達にも突っかかって行くような子どもだったのです。
辻元清美さんは大阪で暮らしていた時には暖かく接してくれた在日韓国人の方や貧しくても一生懸命生きている人たちが沢山いたのです。
そのためあからさまに差別をするような人達に対して子どもながらも反発心を感じていたのです。
こんな体験がその後の辻元清美さんさんの生き様に大きな影響を与えたことはいうまでもありません。
本当は、どんなに苦しくても家族4人で暮らしたかったのです。
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— つじもと清美 (@tsujimotokiyomi) January 3, 2025
辻元清美学歴:小学校時代
辻元清美さんが最初に入学したのは堺市にある東三国ヶ丘小学校でした。
これもお父さんの仕事に都合でした。
辻元清美さんは小学校のときは4校に転校を繰り返したのでした。
東三国ヶ丘小学校→大淀町立桜ヶ丘小学校→高槻市立如是(にょぜ)小学校→大阪市立愛日(あいじつ)小学校(この小学校は現在廃校となっています)と親の都合で転校を繰り返したのです。
あまりに転校を繰り返すために辻元清美さんは友達も出来ずに不登校になったこともあったそうです。
しかし、3番目に転校した如是小学校の担任の先生のおかげで何事にも積極的に行動が出来るようになり不登校も無くなったそうです。
先生の与える影響というものは大きなものがありますね、良い先生に出会えたことは辻元清美さんにとってその後の人生にも大きな影響を与えているのですね。
そのために辻元清美さんの成績は家が貧しいながら常に良い成績を取り続けていたのです。
この頃になるとお父さんは洋品店をたたみこんどはうどん屋さんを始めます。
しかしこれも当初はなかなか起動に乗らず、苦しい生活に変わりありませんでした。
そうするうちにお母さんが美容師の免許を取ったのです。
そして美容院で働き始めるようになるとなんとか生活も安定して来たのです。
お母さんもお父さんを支えながら家事をこなし、随分と苦労をしていたのです。
辻元清美さんさんはそうして貧しいながらも一生懸命生きる両親の背中をしっかりと見て育って来たのです。
辻元清美の中学・高校時代
思えば辛いことの多かった小学校時代でしたが、それでも辻元清美さんが学業だけは優秀でした。
そして中学校は国立の共学校である「奈良教育大学付属中学校」でした。
この中学校は偏差値が62と難関校でしたが辻元清美さんはこの中学校に一般受験で入学したのです。
1947年の戦後間もなく開校の国立中学校なので、県内では有数の進学校として知られているのです。
またこの中学校は国立中学でお堅いイメージがありますが、以外と自由な校風で先生方も生徒の意見を尊重してくれるという教育方針があるのです。
正に言いたいこといいの辻元清美さんにピッタリの校風ではありますね。
そして嬉しいことにお父さんのうどん屋も評判を呼び段々と起動に乗って来て生活も安定して来たのです。
辻元清美さんはこの中学校を卒業するとこんどは名古屋の高校へと進学しました。
系列の高等学校が無かったこともありますが、なぜ名古屋の高校に入学したのかはわかっていません。
学業優秀な辻元清美さんのことですからしっかりと将来を見据えての選択だったことは間違いありません。
その辻元清美さんが入学した高等学校は国立の共学校である「名古屋大学教育学部付属高校」で偏差値は62と難関高校でした。
この学校も1947年開校の国立高校でした。
3クラスしかない小規模校でしたがこの高校も進学校で難関大学へ進学する生徒も少なくありませんでした。
将棋で有名な「藤井聡太」さんも2018年に入学して当時は結構話題になったものでした。
しかし、「藤井聡太」さんは将棋に専念するために2021年にこの高校を中退しています。
いまの「藤井聡太」さんの活躍を見ればそれは大正解だったようですね。
ただ辻元清美さんの高校生活に関してはほとんど情報がなく、部活などやっていたのかどうかは不明です。
お父さんのうどん屋さんが起動に乗ったとは言えお金のかかる部活などをする余裕はなかったのではないでしょうか、これは僕の単なる推測ですがね。
辻元清美さんが後に語ったところによると大学進学の資金などを出して貰う余裕はなかったそうです。
そのため辻元清美さんは高校を卒業してから2年ほど大学進学の資金を貯めるためにデパートでアルバイトをやっていたそうです。
辻元清美大学時代
そうして大学入学資金をためた辻元清美さんは2年遅れで早稻田大学へと進学します。
2浪ではなく、これも一発で合格を果たしているのです。
自力でここまで苦労して大学をめざすその気力、精神力には頭が下がりますね。
そのため辻元清美さんは世襲議員と呼ばれる議員は大嫌いなのです。
これには僕も大賛成ですね。
早稻田大学では教育学部に籍を置き勉学に励みます。
この大学3年生の時に辻元清美さんに転機が訪れます。
1983年に各国の学生達と交流を目的としたNGO団体「ピースボート」を設立して学業と共にアクティブな活動も始めます。
ピースボートというのは船で世界中の様々な学生達と交流を重ね、地域紛争や核問題、貧困問題などに活発な意見を交わす目的がありました。
この企画は当時メディアからも大いに注目を集め辻元清美さんは一躍時の人になったほどです。
辻元清美さんが政界入りするまでこの企画に関わっており、その間に約2万人が参加して、60ヶ国を訪問する成果を挙げているのです。
辻元清美さんのこういった行動力やリーダーシップにはまさに称賛に値しますね。
このピースボートは現在も受け継がれ毎年3~4ヶ月かけて世界を巡っています。
ただ辻元清美さんはこのような活動が忙しく大学の方は、6年かけて卒業されました。
本当に充実した学生生活を送られたことが想像されますね。
辻元清美学歴のまとめ
辻元清美さんは大学を卒業しても一般社会に就職することはありませんでした。
その後も政治活動を続け「地球国連サミットNGO」などの代表を務めるなど市民運動に積極的に取り組み「新しい市民運動」などの活動を行いながら、政治家への道を志していたのです。
そのような活動を通して辻元清美さんは当時社民党の党首だった「土井たか子」さんの目に止まったのです。
そして「土井たか子」さんに誘われて国政選挙に出馬してなんと36歳の若さで見事に当選を果たします。
こうして辻元清美さんの政治家人生の第1歩が始まったのです。
ただ唯一残念なのは2002年に秘書給与流用事件に関わり逮捕された経験があるのです。
この時には議員辞職してその罪を反省しているのです。
2004年の衆議院議員総選挙に無所属で立候補しましたが、この時はあえなく次点で落選してしまいます。
ちなみにこの時の得票数は全国最高得票数落選者でありました。
しかし、民衆は辻元清美さんを見放しませんでした。
2005年に行われた衆議院議員総選挙において辻元清美さんは見事に比例復活を成し遂げたのです。
そして2009年8月の「第45回衆議院議員総選挙」においても見事に4選を果たします。
同年9月に発足した鳩山由紀夫内閣においては「国土交通副大臣」を就任。
これはあまり知られていませんが、辻元清美さんは当時の日本航空が破綻した際の再建にも尽力されているのです。
また2021年の「第49回衆議院議員総選挙」では敵対する自由民主党の「山崎拓」さんから辻元清美さんの応援演説を受けたことがありました、それくらい人望もあるのです。
これからも辻元清美さんには庶民目線で政治活動を行ってくれる数少ない政治家として頑張って欲しいと僕は常々思っている次第です。
最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。
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辻元清美のプロフィール
- 生年月日 1960年(昭和35年)4月28日(木)64歳
- 出身地 奈良県吉野郡大淀町
- 学歴 早稻田大学教育学部(卒)社会科学士
- 前職 国際交流ピースボートスタッフ
- 所属政党 立憲民主党
- 公式サイト つじもと清美
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