「ヒコロヒー」さんというピン芸人がいらっしゃいます、このヒコロヒーさんはなんと英語と韓国語に堪能な才媛なのです、今回はこんなヒコロヒーさんを取り上げてその実家はいったい何処にあるのかを探ってみることにしました。本人は出身地は愛媛県としか明かしていませんのでそこから推察して本人の学歴や地元での生活ぶりから推測して実家のある地名をかなり彫り込んで調査できた内容となっています、是非最後までお読みくださいね。
ヒコロヒーの実家について
お笑いピン芸人で近年メキメキと頭角を現して来たヒコヒローさん、出身は愛媛県で1989年(平成元年)10月15日生れ34歳で本名は不明です。
お笑いですが、吉本興業所属ではなく松竹芸能所属です。
大学2年生の時にお笑いイベント出場した時に松竹芸能のマネージャーにスカウトされましたが、その時には、まだ芸能人になる気がなかったため、名刺を受け取っただけでした。
その後大学麻雀のやり過ぎで留年が決まったため大学を中退し、以前受け取っていた名刺のマネージャーに連絡を取り、特待生として松竹芸能大阪養成所に入りました。
愛称はヒコ、ヒコちゃん、ヒコさん、ヒコ姉、一人称は「わし」で自己紹介のキャッチコピーは「国民的地元のツレ」です。
芸名の「ヒコロヒー」は特に意味はなく2秒で付けたそうです、本人曰く、「直角がいっぱいある文字が好き」だからだそうです。
芸風の特徴は衣装、音響、小道具などの仕掛けに頼らない一人コントが特徴ですがこれは実力無くして出来ませんよね。
2019年にM-1グランプリで松竹芸能の先輩芸人みなみかわさんと組んで3回戦まで進出したことで、業界から大きく注目されました。
テレビ東京の「ゴッドタン」に出演しお笑い界やその他の業界からも一気に注目され、ブレイクにつながりました。
今回はこんな異色のお笑いピン芸人「ヒコロヒー」さんの実家や生い立ちについて出来るだけ詳しく調査して紹介してみたいと思います。
ヒコロヒー実家の所在地
ヒコロヒーさんの出身地は愛媛県、とだけしかわかっていません。
本名も隠していますが、あらゆる手段を使って調査してみると、「広瀬ひろこ」ではないかという説と「高須賀有紀」(たかすかゆき)という説があります。
本人は語学に関しては「英語」と「韓国語」に非常に堪能で日常会話にはほとんど不自由なく会話することができます。
そこで今回はこれだけ語学に堪能であると言う事からきっと幼少期にすぐれた語学教育を特別に受けたと思われます。
これだけの教育をうけるにはやはりそれだけヒコロヒーさんの実家が裕福で無ければ出来ないことからヒコロヒーさんの実家は財閥の血筋の方であるとの推測を立てました。
またヒコロヒーさんの実家は愛媛県新居浜市と松山市の二つの説があります。
財閥との縁のある街と言えば、新居浜市が浮上します、そこで今回はヒコロヒーさんの実家は愛媛県新居浜市であるとして話しを進めていきます。
ヒコロヒーさんは自身の出所や本名を明らかにしたくない理由があるからですね。
自身の出身がバレては困る何かがあるのですね。
ヒコロヒーさんの実家を隠しておきたい何かがあるのでしょう。
身内が取材されて実家などに迷惑をかけたくない思いがあることからヒコロヒーさんは実は実家が大富豪ではないかとの噂があるのです。
「火の無いところには煙は出ない」といいますが、ヒコロヒーさんは出身を隠しておきたい、人にしられたくない、知られては困る、と言った何かがあるのでしょうね。
ヒコロヒーの実家は新居浜市か
そこでヒコロヒーさんの実家は大富豪であるという推測が出て来た訳ですが、ここから推測して愛媛県の大富豪といえば住友財閥が浮かんできますがそれを掘り下げればある人物が浮かんで来るのです。
それは「広瀬宰平」という人物です。
そこでヒコロヒーさんの名前と照らし合わせてみた結果が「広瀬宰平」が浮き上がりました。
そこから「広瀬ひろこ」となった訳ですがヒコロヒーさんは「広瀬宰平」(ひろせさいへい)の子孫ではないかと言われています。
広瀬宰平は当時の新居浜市に住友家が発見して経営していた別子銅山(元禄3年、1690年に発見)がありました。
住友家はこの別子銅山を開発したわずか5年後には2,700人もの鉱山関係者を集めて新居浜に一大産業に発展させたのでした。
その後この別子銅山は世界でも有数の銅鉱山として有名になって行ったのです。
住友家というのは、日本の3大財閥「住友」、「三井」、「三菱」の一つでした、財閥は戦後に解体されましたが、未だなお住友というのは大企業の一つです。
その別子鉱山近代化に尽力して住友グループ発展の立役者となったのが広瀬宰平という人物の存在です。
新居浜市には旧邸宅や記念館があるほど有名な方だそうです。
ヒコロヒーさんはこの広瀬宰平の子孫でありあまりに有名なので身分バレが照れくさいのかもしれませんね。
名前も「ヒロセヒロコ」→「ヒロコヒー」→「ヒコロヒー」になった可能性も考えられますね。
ヒコロヒーの実家と学歴
そこで今回はこのヒコロヒーさんの実家は愛媛県新居浜市であると想定して新居浜市を紹介して見たいと思います。
ヒコロヒーさんの実家のある愛媛県新居浜市は四国のほぼ中央にある都市で北は瀬戸内海、南は四国山地があります。
海と山に囲まれた自然豊かな街で人口は約12万人です。
そしてヒコロヒーさんの実家のある新居浜市は四国屈指の臨海工業都市なのであります。
そしてなによりもこの新居浜市は「子供の産みやすい街」として合計出生率は日本でもトップクラスにあり、四国では1位となっています。
医療体制も充実しており子育てのしやすい街としても全国的に有名となっています。
ヒコロヒーさんの実家はこんな新居浜市のどこにあるのかは分かっていません。
高校時代にはヤンキーで愛媛の田舎にいて遊ぶ所はなかったと後日語っていました。
ですから、高校を出るまでは愛媛に田舎で暮らしていたことがわかりますね。
ヒコロヒーさんの実家が新居浜市と想定した時にでは新居浜市には高校が5校あります。
ヒコロヒーさんは英語や韓国語が堪能で日常会話にはほとんど不自由なく会話することができます。
そんなことからヒコロヒーさんが通っていた高校は新居浜西高等学校である可能性が濃厚です。
この高校からは小説家、科学者、衆議院議員、アナウンサー、実業家など多数の人材を輩出しています。
また四国内にある国立大学への進学率は2割もあり、愛媛県では屈指の進学校となっています。
ヒコロヒーさんの実家からも通いやすい立地にあったことが想定されます。
ヒコロヒーさんの外国語の能力からみても新居浜市でも有名大学への進学率の高い高校へ通っていたと思われますので、進学率の高い「新居浜西高等学校」であることはほぼ間違いないでしょう。
では小学校や中学校はいったいどの学校を卒業したのかを探ってみたいとおもいます。
通っていた高校が新居浜西高等学校でありことから逆算して調査してみると、この西浜西高等学校に一番近い中学校は新居浜市立北中学校になります。
そして小学校はこの北中学校のほとんど隣にある新居浜市立宮西小学校であることは推測されますね。
ヒコロヒーさんの実家の詳しい住所は公表されていませんがこれらの学校へ通っていたことを勘案するとヒコロヒーさんの実家の合った町は新居浜市宮西町ではないかと言う説が有力になってきました。
ヒコロヒーさんは学校に通学する際に自転車や電車で通学していたという情報はありませんのでおそらく徒歩で通っていたと思われます。
ですからヒコロヒーさんの実家は愛媛県新居浜市宮西町であることはほぼ間違いないと私はみています。
ヒコロヒー実家での生活
ヒコロヒーさんの実家から小学校、中学校、高等学校とすべて徒歩で通える距離にあったのは珍しいケースだと思いますね。
高校時代は部活などせずに帰宅部であったようですね。
そこで時間を持て余したヒコロヒーさんは麻雀にはまっていったそうです。
部活はせずにアルバイトをせっせとやって稼いだお金はほとんど雀荘に使っていたそうです。
高校時代から雀荘に入り浸っていたとはそうとうユニークな性格の持ち主ですね。
ヒコロヒーさんの実家の近くにある麻雀荘にはヒコロヒーさんお気に入りの雀荘メシがあったそうです、それがなんと雀荘カレーだったそうですが、最近ではカップラーメンに卵を落として食べるのが好きになったそうです。
麻雀牌を触っただけでその種類がわかる「盲牌」も出来るほどの腕前だったそうです。
ちなみに「盲牌(もうぱい)」とは麻雀用語の一つで指の腹で牌の図柄の凹凸を探り、その触感で牌を見ること無くどの牌かが識別出来ることを言います。
おかげで麻雀にかけての腕前はプロ並みで、麻雀番組などにも出演したことがあるそうです。
これらのことからヒコロヒーさんの実家から学校を含め、雀荘までヒコロヒーさんの活動範囲はすべて歩いて通える範囲にあったと思われますね。
ヒコロヒーさんの実家から小学校、中学校、高等学校とすべて徒歩で通える距離にあったのは珍しいケースだと思いますね。
ヒコロヒー実家のまとめ
今回は芸能界では遅咲きの部類にはいりますが、その下積みを重ねた後に一気にブレイクしたヒコロヒーさんの実家はいったい何処にあるのかを取り上げて調査してみました。
調査の結果ヒコロヒーさんの実家は愛媛県新居浜市宮西町ではないかという所まで判明しました。
しかしながらこれは本人からの公表ではありませんので確定的ではありませんがかなり深く彫り込んだ内容となっています。
ヒコロヒーさんの自己紹介キャッチコピーは「国民的地元のツレ」だそうで、地元愛のつよい思いがこめられたキャッチコピーとなっていますね。
でも、本人は決してその出所を明らかにせず生い立ちなどに関してはミステリアスなままです。
しかしこれも芸能界で自身の存在をアピールする一つの手段ですね。
ヒコロヒーさんはこれからの活躍が大いに期待されるピン芸人なのです。
芸能界でもっともっと大きく成長していつの日か堂々とそのヒコロヒーさんの実家を明らかにしてくれる日がくることを願って止みません。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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