玉木雄一郎の経歴は?日本の救世主になれるのか?その経歴から実力を検証してみた!

政治家

第50回衆議院議員総選挙において国民民主党は議席を4倍に伸ばす大躍進を遂げたのです。この選挙戦において国民民主党を牽引したのが玉木雄一郎さんでした。国のふところよりも国民のふところを豊にするのが政治の役割であるとしての訴えが国民の支持を得たのです、今回はそんな玉木雄一郎さんの経歴について調査してみました。ぜひ最後までお読み下さいね。

玉木雄一郎の経歴

玉木雄一郎さんは香川県大川郡寒川町(現・さぬき市)で誕生しました。

おじいさんは大川農業協同組合の組合長をつとめ、お父さんは獣医をやっていて香川県獣医師会副会長をつとめながら自身も農業を営んでいました。

そして玉木雄一郎さんはそんなお父さんの農業を学業に合間に手伝っていたのです。

田植え、麦まき、肥料の散布などを手伝ううちに農業における協力や共生の大切さを学んで行きました。

これが今日の政治活動にも活かされているのです。

 

 

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玉木雄一郎さんは3人兄弟の長男として生れました。

小学校は寒川町立神前小学校、中学校は寒川町立天王中学校、高校は香川県立高松高等学校、大学は東京大学法学部を卒業しているのです。

大学を卒業すると当時の大蔵省(現・財務省)に入省、1997年にはアメリカのハーバード大学ケネディ・スクールに留学、2年後の1997年に同校からMPA(公共経営修士)を取得しています。

この大蔵省入省時に「大蔵省接待汚職事件」が発生しているのでした。

この事件を目の当たりにした玉木雄一郎さんはこのような腐敗を無くし、国民に目を向けた政治を行うために政治家を目指すことを決心したのです。

その後、外務省への出向、大阪国税局総務課長、内閣府への出向を経て第1次小泉内閣で当時の行政改革担当大臣であった石原伸晃(いしはらのぶてる)の下で秘書専門官に就任。

以降3代にわたり同大臣の秘書専門官を務めます。

この実績を認められた玉木雄一郎さんは第2代大臣の金子一義(かねこかずよし)さんから政治家になることを勧められます。

そして当時の自由民主党幹事長であった安倍晋三(あべしんぞう)さんとの面談を勧められます。

しかしこの時は玉木雄一郎さんの地元にはすでに他の国会議員を擁していたのです。

このため安倍晋三さんは他の小選挙区からの立候補を示したのです。

この時には玉木雄一郎さんは「国政に挑戦するならば、先祖の墓のある地元から立候補したい」との思いが強く、出馬を断念したのです。

2005年になって玉木雄一郎さんは財務省を退官します。

同年9月に行われた第44回衆議院議員総選挙(郵政選挙)において民主党公認により香川区から出馬したのです。

自由民主党から立候補していれば当選したかも知れませんが、玉木雄一郎さんは民主党を選んだのです。

「政権交代を目指すには派閥による争いで交代するのではなく、政党同士の争いで政権交代するのが本当である」との思いが強かったからです。

この時からすでに玉木雄一郎さんは国民の方に目を向けていたのです。

ただこの時の選挙は小泉総理大臣の人気の絶頂期であったため、自由民主党が大勝してしまったのです。

そして玉木雄一郎さんは自由民主党前職の木村義雄さんに大差を付けられて落選してしまいます。

その後、玉木雄一郎さんは自身が地元出身で総理大臣を務めた大平正芳さんとは遠い親戚にあたることを知ったのです。

そこで大平さんの協力を得るために長女の森田芳子さんにコンタクト取ります。

当初は森田芳子さんは玉木雄一郎さんが自由民主党ではなく民主党であったために会うことをためらいましたが、有力政治家の口添えがあり玉木雄一郎さんと面会に応じます。

こうして玉置雄一郎さんは地元での人脈作りに成功するのです。

その後に行われた第45回衆議院議員総選挙において民主党から立候補した玉置雄一郎さんは前回敗れた木村義雄さんに打ち勝ち見事に当選を果たします。

こうして玉木雄一郎さんの議員人生のスタートの幕が切って落とされたのです。

 

 

玉木雄一郎と今回の衆院選(2024年10月)

 

今日本で一番注目されていると言っても過言ではない政治家は玉木雄一郎(たまきゆういちろう)さんです!

玉木雄一郎さんは2009年の第45回衆議院議員総選挙にて全回敗れた「木村義雄」を破り、初当選を果たしました。

そして今年(2024年)10月の第10回衆議院議員総選挙において現有議席の4倍という驚異的な成長を見せ28議席を獲得したのです。

比例区においても2021年の衆院選での獲得数よりも約2.4倍もの伸びを示しました。

これは公明党や日本維新の会よりも多い数となっていたのです。

当初、単独で法案提出が可能である21議席の獲得を望んでいたのですが、それも上回るという伸びを示したのです。

今回の総選挙で自由民主党と公明党の合計獲得数が215議席と過半数を割ってしまい、国民民主党は一躍キャスティングボートを握る存在にまでなってしまったのです。

そしてこの今回の総選挙を牽引したのが玉置雄一郎だったのです。

玉置雄玉木一郎さんは自身の選挙区においても得票率66.41%という高率で当選したのです。

これはいままでの選挙での自己最高を記録したのでした。

今回の選挙ではもし自由民主党が国民民主党を取り込むことが出来れば衆議院で過半数を制することができるのです。

そしてそれを必死で阻止したいのが立憲民主党という構図が出来上がってしまいました。

しかし玉木雄一郎さんはそんなことは意に介していません。

玉木雄一郎さんは常に国民に目が向いているのです。

「重要なのは国民の生活が豊かになることだ、仁徳天皇は民のかまどから火が上がらないのを見て3年間税金を免除したが現在の政治家もそういう思いを忘れてはいけない」と語っているのです。

 

 

玉木雄一郎経歴のまとめ

 

 

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玉木雄一郎さんが最初に衆議院議員総選挙に立候補したのは「第44回衆議院議員総選挙」でした。

この時は残念ながら落選してしまいましたが、その教訓を活かしそれ以後の衆議院議員総選挙においてはすべて当選を果たしているのです。

つねに国民に目を向けた政治姿勢は高く国民からの評価を得ているのです。

そんな玉木雄一郎さんは東京大学法学部を卒業し、大蔵省入省、ハーバード大学ケネディ・スクールに留学という、正にエリートコースを一直線に歩んで来た秀才であることはあまり知られていませんでした。

政治家というものは当選してしまうとどうしても国民に対して「上から目線」になりがちですが、玉木雄一郎さんは国民の立場と同じ目線で捉えているのです。

国を豊かにする前に国民の財布を豊にすること目標に10月の選挙に挑んだ結果国民民主党は大躍進をすることになったのです。

共産党や公明党を抜いて第4政党に躍り出ました。

そんな玉木雄一郎さんはSNSの総フォロワー数はなんと120万人越えという数値をたたき出しているのです。

そうすることによって現役世代の支持を大きく獲得することにも成功しているのです。

玉木雄一郎さんはこれからも国民目線の政治をおこなうことに全力を尽くしてくれることと思います。

こういう政治家が一人でも多くなってくれることを願いたいですね。

最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。

玉木雄一郎のプロフィール

  • 生年月日     1969年(昭和44年)5月1日
  • 出身地      香川県大川郡寒川町(現・さぬき市)
  • 最終学歴     東京大学法学部、ハーバード大学ケネディ・スクール修了
  • 所属政党     国民民主党
  • 玉木雄一郎ホームページ

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