河野太郎の学歴は?慶應義塾大学中退ってほんとう?学歴や現在の役職などを詳しく調査してみた

政治家

衆議院議員の河野太郎さんが初当選から一度も落選経験のない優秀な議員さんです。今では国政の中枢を担う国会議員として重要な地位に就き大活躍されています。今回はそんな河野太郎さんの学歴や政治活動について出来るだけ詳しく調査してみました。ぜひ最後までお読み下さいね。

河野太郎の学歴:幼少から高校まで

河野太郎さんの学歴や経歴を紹介するよ

初当選以来28年間一度も落選していないんだよね凄いわね

自由民主党衆議院議員の河野太郎さんは1963年(昭和38年)1月10日生れの61歳です。

当選10回で国会議員としては超ベテランという存在ですね。

これまでにも数多くの大臣や役職を経験してきて書き込むことが出来ないくらいです。

河野太郎さんのお父さんは自由民主党総裁、衆議院議長、外務大臣、副総理、内閣官房長官、科学技術庁長官などを務めた河野洋平さんです。

お爺ちゃんは副総理兼東京五輪担当大臣、建設大臣、行政管理庁長官、農林大臣、を務めた河野一郎さん。

ひいお爺ちゃんは神奈川県会議長を務めた河野治平、大叔父さんは参議院議長を務めた河野謙三さんと政治家一家なのです。

河野太郎さんはそれらの血を曳いたまさに政界のスーパーサラブレッドなのです。

河野太郎さんの出身地は神奈川県平塚市です。

小学校は「平塚市立花水小学校」を卒業されています。

家族構成は両親と弟が一人の4人家族です。

河野太郎さんは幼少期から厳しく育てられ、お母さんからは「人の悪口は言うもんじゃないよ」と口が酸っぱくなるほど言われたそうです。

お父さんの河野伊知郎さんも躾には厳しくて悪口を言った時などは殴られた経験もあるほどです。

これは弟に関しても同じ事でした。

政治家になってもこの教えは忘れたことがないそうです。

小学校では野球をやっていました、運動も大好きな少年だったんですね、どのポジションを守っていたのかはわかっていません。

ただ小学校の時から勉強も良く出来たそうです。

そしてボーイスカウトにも参加しており平塚第5団に所属していました。

政界のサラブレッドとしての基礎がこの頃から育って行ったのですね。

中学校は私立の慶應義塾中等部でした、偏差値が「69」とう難関校なのです。

この学校は戦後の1947年開校の慶應義塾大学の系列校です。

2017年には女優の「芦田愛菜(あしだまな)」さんが入校して話題をさらったことがありました。

この学校はエスカレーター式に慶應義塾大学まで入れますが、かなりの難関校としても有名です。

こんな中学校に河野太郎さんは政界の大物であるお父さんのコネなど一切利用せずに、自身の実力で中学校へと進学したのです。

そして高校、大学へはエスカレーター式で入学しています。

ただ河野太郎さんは「ガリ勉」タイプではなくスポーツもしっかりとやっていました。

中学・高校の時は陸上部で活躍し、キャプテンも務めてそのリーダーシップを遺憾なく発揮したのでした。。

河野太郎さんが陸上部に入った理由は故郷の平塚市が「箱根駅伝」のコースになっており小さい頃から毎年駅伝の応援に行っていたそうで、そのころから陸上部に興味があったのですね。

そして大きくなったら「箱根駅伝」に出場するのが夢だったそうです。

高校は「慶應義塾高校」で偏差値は75です、これは超難関校なのです。

この高校は戦後間もない1948年に開校しています。

難関校ではありますが、校風は非常に自由だということです。

この高校の有名な芸能人として「櫻井翔(さくらいしょう)」さんや「ミッツ・マングローブ」さんがいます。

 

 

河野太郎の学歴:河野太郎の大学時代

高校の卒業生はほとんど系列の「慶應義塾大学」へと進学します。

ちなみに河野太郎さんの同級生として公明党の参議院議員の西田実仁(にしだまこと)がいます。

1学年下には衆議院議員の石原宏高(いしはらひろたか)さんも在籍していました。

今回第28代総裁選挙においてライバルだった石破茂(いしばしげる)さんもこの高校の卒業生でした。

高校時代も河野太郎さんはキャプテンとして長距離走をやっていました。

大学時代は幼い頃からの夢であった「箱根駅伝」を目指したのです。

ただ実際に「箱根駅伝」に出場することは無かったようですね。

河野太郎さんは学業も良く出来ましたが、特に英語が得意で中学・高校と成績は常にA(最高位)だったそうです。

1981年4月に河野太郎さんはエスカレーター式に「慶應義塾大学」へと進学しますが思うところがあってこの大学をわずか2ヶ月で退学してしまいます。

そして1982年9月にアメリカへと渡り、アメリカ・ワシントンDCにある私立大学の「ジョージタウン大学」へと進学し、比較政治学を学びます。

慶應大学を中退してアメリカへ留学するなんて凄い行動力ね

ジョージタウン大学は全米1700校の大学の中で22位にランキングされている名門校です。

この大学在学中に河野太郎さんはSTATES外交を学んだり、政治活動にも積極的に参加して政治の勉強を精力的に行いました。

この時に体験したことが今日の政治活動にも大きな影響を与えているのです。

何事にもポジティブな河野太郎さんはこの大学を一時休学してワルシャワにある「ポーランド中央計画統計大学(現:ワルシャワ経済大学)に留学中に当時自宅軟禁下にあったレフ・ヴァウェンサ「連帯」議長(後にポーランド大統領になる人物)の自宅を訪問し、警察に逮捕されたことがありました。

そこで一晩留置され翌日釈放されたというエピソードがありました。

1985年12月「ジョージタウン大学」を卒業。

 

河野太郎学歴:河野太郎の社会人生活

ジョージタウン大学を卒業した河野太郎さんは帰国後、1986年に「富士ゼロックス」株式会社に入社します。

この会社では当初、調査統計部に配属されサラリーマン生活が始まりました。

ここでも河野太郎さんの優秀さが発揮されて、日本初の本格的サテライトオフィスと言われた「志木サテライトオフィス」の立ち上げにも関わりました。

そしてこんどは国際事業部へと配属が変わります。

ここでもその英語力を活かしてシンガポールの「富士ゼロックスアジアパシフィック」で勤務をしているのです。

こうして河野太郎さんは富士ゼロックスで足かけ7年に及ぶ期間を働きその有能ぶりを遺憾なく発揮したのでした。

その後「富士ゼロックス」を退社した河野太郎さんは1993年1月に弟が社長を務める「日本端子株式会社」へと務めを変えます。

ここでは自動車、電気機器の部品の開発及び海外輸出を担当して尽力します。

この日本端子株式会社は神奈川県平塚市に本社があり、中国の3カ所に子会社を置いています。

業務内容は端子やコネクタを主力製品として、設計、製造、販売まで一貫して手掛けている会社です。

そして元衆議院議員の「河野洋平」さんが大株主となっています。

現在の社長の河野二郎さんは河野洋平さんの次男です。

関連会社として中華人民共和国の会社である「北京日端電有限公司」の株式の60%を保有、京东方科技集团股份有限公司(BOE)が株式の40%を保有しています。

BEOは2019年より液晶ディスプレイの製造分野では世界一のシェアを誇る会社です。

河野二郎さんはこの会社の副代表を務めるなど「日本端子株式会社」は中国とは切っても切れない間柄であります。

 

河野太郎学歴:河野太郎の政治活動

小選挙区比例代表並立制が導入されお父さんの河野洋平さんの選挙区が分割されたため、1996年(平成8年)の第41回衆議院総選挙に河野太郎さんは神奈川15区から自由民主党公認で立候補し見事に初当選をはたします。

この時の同期当選に菅義偉(すがよしひで)、平沢勝栄(ひらさわかつえい)、渡辺喜美(わたなべよしみ)、大村秀章(おおむらひであき)、下村博文(しもむらはくぶん)、新藤義孝(しんどうよしたか)などの現在の政治の中枢を担う多くの自由民主党議員が当選しています。

2000年6月の第42回衆議院総選挙において2回目の当選

第1次小泉内閣において「総務大臣政務官」に就任する。

2003年11月の第43回衆議院総選挙にて3回目の当選

議員立法で提出した「消費者基本法」が成立。

議員立法で提出した「特定船舶入港禁止法」が成立。

2004年10月の神奈川県連会長に就任(2007年4月退任)

2005年9月の第44回衆議院総選挙にて4回目の当選

衆議院外務委員長就任(2009年7月解散)

議員立法で提出した「臓器移植法改正案」が成立。

2009年8月の第45回衆議院総選挙にて5回目の当選

自由民主党総裁選挙にて次点となる。

2012年12月の第46回衆議院総選挙にて6回目の当選

2014年12月の第47回衆議院総選挙にて7回目の当選

2015年10月国務大臣、第75代国家公安委員会委員長、行政改革担当、国家公務員制度担当、内閣府特命担当大臣に就任(第3次安倍改造内閣)(2016年8月3日退任)

2017年8月外務大臣就任(第3次安倍第3次改造内閣)

2017年10月の第48回衆議院総選挙にて8回目の当選

2017年11月外務大臣再任(第4次安倍内閣)

2018年10月外務大臣留任(第4次阿部改造内閣)(2019年11月退任)

2019年9月防衛大臣に就任(第4次阿部第2次改造内閣)(2020年9月16日退任)

2020年9月国務大臣、行政改革担当、国家公務員制度担当、内閣府特命担当大臣(規制改革・沖縄及び北方対策)に就任(菅内閣)(2021年10月4日退任)

2021年9月の自由民主党総裁選挙において次点となる。

2021年10月の第49回衆議院総選挙にて9回目の当選

2022年8月デジタル大臣、国家公務員制度担当、内閣府特命担当大臣(デジタル改革、消費者及び食品安全)就任(第2次岸田改造内閣)

2023年デジタル大臣、デジタル行財政改革担当、デジタル田園都市国家構想担当、行政改革担当、国家公務員制度担当、内閣府特命担当大臣(規制改革)就任(第2次岸田第2次改造内閣)(2024年10月1日退任)

2024年10月第50回衆議院総選挙にて10回目の当選現在に至る。

 

 

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河野太郎学歴のまとめ

河野太郎自由民主党衆議院議員は初当選以来これまでに落選の経験が無く、すべての選挙で当選を果たすという素晴らしい成績を残されているのです。

今では日本国の政治の中枢を担う国会議員として日夜国家・国民のために尽力されています。

総裁選挙においては惜しくも次点が最高位でしたが、まだまだチャンスはあるのです、諦めずに頑張ってもらいたいものですね。

政治家としては河野太郎さんは61歳で、これは政治家としては若い方になります。

最低でも後20年はやれると思います。

河野太郎さんは幼少期より学業に秀でていてまさに国会議員になるために生れて来たような人なのです。

留学先のアメリカにおいてもしっかりと政治学を勉強してこられ今の政治に活かしているのです。

文筆活動にも熱心でこれまでにも自著、共著多数の本も出版されているほどです。

また河野太郎さんは親思いの強い方で2004年にはお父さんの河野洋平(元衆院議長)に対して自分の肝臓を移植しているほどです。

身内の事とは言えなかなか出来ることではないですよね。

初当選以来一度も落選をしたことがないということはいかに国民の信頼が厚いかということですよね。

これからも河野太郎さんは日本のために政治活動に邁進してくれることでしょう。

最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。

 

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