青山繁晴の「ぼくらの国会」とは?この記事を読めばすべてがわかる!

政治家

青山繁晴さんは国会議員としてユーチューブチャンネルを持ちつねに国会や社会における情報を的確に発信しているのです、そしてそのチャンネル登録者はユーチューブを発信している国会議員の中ではダントツのトップを走っているのです、今回はそんな青山繁晴さんのユーチューブ活動や国会議員としての活動に注目して調査してみました。この記事を読むことによって国会議員青山繁晴を少しでも理解して頂ければ幸いです。ぜひ最後までお読み下さいね。

青山繁晴ぼくらの国会の序章

青山繁晴さんはユーチューブで「ぼくらの国会」というチャンネルを運営されています。

チャンネル登録者はなんと63.9万人をという驚異的な人気YouTuberでもあります。

これは全国会議員の中でナンバーワンなのです。

現在、参議院議員として活躍されている青山繁晴さんは1952年(昭和27年)7月25日生れの72歳です。

職業は政治家(自由民主党)、作家で早稻田大学で経済学士の資格があります。

出身地は兵庫県神戸市長田区で3人兄弟の末っ子として誕生しました。

父親の仕事の関係で(明治初期に創業した青山織物株式会社)長田区から加西郡泉町(現:加西市)へ引っ越して高校を卒業するまで同地で過ごしました。

1971年に高校卒業後は慶應義塾大学文学部に入学しますが、思うところがあってこれを中退、早稻田大学政治経済学部経済学科を受験しこれに入学を果たす。

1979年3月に同学部を卒業、この時青山繁晴さん青春26歳であった。

1979年4月に妻(受験当時は恋人関係であった)の勧めで共同通信社に就職、最初の赴任地は徳島支局であった。

青山繁晴さんはこの年の5月25日に恋人関係にあった「千春」さんと結婚。

妻「千春」さんは日本の水産学研究者であり、水産学の博士でもあります、そして東京海洋大学特任教授、独立総合研究所代表取締役社長とお嫁さんも実際すごい人なのだ!

その後も青山繁晴さんはトントン拍子で社内で出世をして1984年4月には大阪支社経済部にうつります。

ここでは証券、繊維、財務、金融業界を担当しています。

青山繁晴さんの優秀さはここでも発揮され、1987年4月になると東京本社政治部に栄転します。

この当時に時の首相であった、中曽根康弘や竹下登、などと深井人脈を築いています。

自民党では三木派、河本派を担当、その後も民社党、社民連、法務省、検察庁、労働省・連合、防衛庁などの担当を歴任しています。

その後「天皇班」に配属されて昭和天皇崩御までの取材活動に携わりました。

そしてこの後に青山繁晴さんの生涯を変える事件がおこったのです。

1995年12月に外務省サブキャップを担当していた時、日本にとって忌まわしい「ベルー日本大使公邸占拠事件」がおこります。

この直後青山繁晴さんはペルーに飛び、半年の長きに渡ってこの事件の真相を一部始終取材活動を行ったのです。

この時の体験がきっかけとなり、記者を退職することを決意します。

そして1997年12月31日をもって18年間の長きに渡って務めた共同通信社を依願退職するのです。

 

青山繁晴とぼくらの国会

僕らの国会は令和2年7月27日に始まりました。

それから4年、今ではチャンネル登録者が63.9万人を超える数を誇る人気番組に育ってきました。

この番組では大体20分から30分の長さで国内や海外の問題点を幅広く取り上げ青山繁晴さんとサポート役の秘書の三浦麻未さんが詳しく解説をして行きます。

もっとも三浦麻未さんは青山繁晴さんに問題点を挙げて、青山繁晴さんがそれを詳しく解説して行くという流れになっています。

一見、青山繁晴さんは右翼のように見られがちですが、それは全く違った見方で参議院議員の青山繁晴さんは右でも左でもありません、物事を全体的に把握していつも正鵠を射た解説をしてくれます。

青山繁晴さんは自由民主党の議員ではありますが何処の派閥にも所属せず、しがらみというものが一切ありません。

青山繁晴さんが総裁選に出た時には推薦人は沢山いましたがその議員たちは皆それぞれの派閥に属しておりそのしがらみに縛れてた議員たちは一人減り、2人減りとなって最終的に推薦人は15人しか集まらず総裁選には出馬できませんでした。

このようにしがらみに囚われていては自分がどれだけ素晴らしい意見を持っていてもそれを十分に発揮できません。

青山繁晴さんはそんなしがらみの一切無い唯一の国会議員と言っても過言ではありません。

そしてグローバルな視点から実に正鵠を射た「ぼくらの国会」での解説が広く国民から支持を受ける所以なのです。

そして何と青山繁晴さんは自由民主党の党員獲得数でも自由民主党の中でナンバーワンなのです。

 

 

青山繁晴ぼくらの国会:日本の尊厳と国益を護る会とは

この会が出来たきっかけは青山繁晴さんと某国会議員(山田宏さんかも?)さんと二人で居酒屋で酒を酌み交わしながら日本の行く末を語っていた時にひらめいたそうです。

当初はたった2人で始まったのですが、2019年(令和元年)6月12日に自由民主党の議員である青山繁晴さん、鬼木誠(おにきまこと)さん、高木啓(たかぎけい)さん、長尾敬(ながおたかし)さん、山田宏(やまだひろし)さんら5人の雄志が集まってこの会を結成しました。

それが今(2024年11月5日現在)では81名という人数に膨れ上がっているのです。

この会はよく派閥と間違えられるのですが、派閥とは全く関係が無く、勉強会のような会です。

この「日本の尊厳と国益を護る会」には大きな3本の柱があるのです。

 

1 安定的な皇位継承

父系(男系)による皇位継承の永続と安定のための最善の諸策を講じる。

2 重要土地調査・規制法の進化

オーストラリアなど諸国で今、silent invasionとも呼ばれる、国土への外国による静かな侵略、浸   食が見られる。

日本においても北海道や対馬をはじめ看過できない同様の現象が見られる。

この拡大を防ぎ、そして、すでに危機に直面している国土の回生を実現する。

3 スパイ防止法

外国による不正なスパイ活動を防ぐことなくして国民を護る土台は築けない。

現在と未来の世界はIT・サイバー技術の急進展もありスパイ活動がさらに激化する傾向にある。

これを画期的かつ有効に防ぎ、同時に、国益に資する正確にして豊富な情報を公正に取る立法を行う。

 

そしてこれまでにもこの3本柱だけでなくいろんな提言をしているのです。

例えば、対馬振興強化に関する緊急要望、皇位継承の安定への提言、尖閣諸島の緊急提言、経済安全保障の強化を求める緊急提言・・・

など様々な提言を国会に対して行っているのです。

そして「日本の尊厳と国益を護る会」では今後の課題として次のような課題を挙げています。

  • 憲法改正
  • 台湾(台湾関係法制定の向けた調査研究)
  • 家族法制(親権者、監護者のあり方)
  • 核抑止

以上のような課題を掲げてこれからも「日本の尊厳と国益を護る会」では果敢に挑んで行く方針なのです。

 

青山繁晴ぼくらの国会のまとめ

青山繁晴さんは参議院議員として常に国家国民のために身を捨てて活動してくれています。

また青山繁晴さんはどこの派閥にも所属せず「しがらみ」というものが一切ありません。

そのため常に社会をグローバルな視点で捉えられ「ぼくらの国会」では実に正鵠を射た解説をしてくれます。

これがYouTubeでのチャンネル登録者が64万人に迫る勢いを見せているのです。

そのためYouTubeをやっている国会議員の中でもダントツの登録者数を誇っているのです。

青山繁晴さんは派閥のしがらみが無いだけではありません。

青山繁晴さんはどんな団体や個人からも政治献金はいっさい受け付けません。

そして後援会長も置かず・地元を持ちません、また政治資金集めのパーティーも開きません。

宗教とも一切かかわっていません。

 

これほどクリーンな政治かは他に類を見ません。

そして青山繁晴さんが立ち上げた「日本の尊厳と国益を護る会」(通称:護る会)という団体の代表をしておられます。

これを青山派だという人がいますが、それは全く違います、「護る会」には派閥の要素(政治団体に登録していない、お金を集めない、人事を差配しないなど)を一切含んでいないのです。

青山繁晴さんには次の総裁選では絶対に総理大臣になってもらいたいと思うのは私一人だけではないでしょう。

早く総理大臣になって1日もはやくこの日本を本来の正しい日本へと導いてもらいたいものですね。

さいごまでお付き合い頂き誠にありがとうございました。

 

青山繁晴のプロフィール

生年月日    1952年(昭和27年)7月25日(72歳)

出生地     兵庫県神戸市長田区

出身校     早稻田大学政治経済学部経済学科

前職      (株)独立総合研究所代表取締役社長・主席研究員

三菱総合研究所専門研究員

共同通信社記者(事件記者、経済記者、政治記者)

東京大学教養学部非常勤講師

所属政党    自由民主党(無派閥)

称号      経済学士(早稻田大学)

配偶者     青山千春

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