二階俊博(にかいとしひろ)さんという和歌山県選出の衆議院議員がいます、約40年以上に渡り国会議員を務めてきました、その二階俊博さんが引退を表明して跡を受け継いだのが三男の二階伸康(にかいのぶやす)さんでした。今回の選挙(2,024年10月)では惜しくも落選の憂き目にあいましたが、時期参議院議員選挙への出馬をめざして頑張っているところです、今回はそんな二階伸康さんの学歴や生い立ちについて調査してみました。ぜひ最後までお読み下さいね。
二階俊博三男大学の序章
2024年10月の衆議院議員総選挙において和歌山2区から出馬した二階俊博さんの三男、二階伸康さんは今回の選挙では残念ながら当選を果たせませんでした。
二階伸康さんの父親は自由民主党の重鎮である二階俊博さんです。
父親の地盤を受け継いでの今回の総選挙でした。
これまで和歌山2区といえば二階家が他を寄せ付けない盤石な強さを誇っていたのです。
しかしながら今回ばかりはその二階さんの地盤はもろくも崩れ去ったのでした。
当選を果たしたのは現参議院議員の世耕弘成(せこうひろしげ)さんでした、将来の総理大臣を目指す世耕弘成さんにとってはどうしても衆議院議員になる必要があったのですね。
そこで衆議院議員になるためにはどうしても二階俊博さんの三男である伸康さんとの激突は避けられないものでした。
和歌山2区はこれまで二階家の盤石な地盤でありました、これに戦いを挑む世耕弘成さんという構図で闘いは始まりましたが、国会議員26年の経験豊富な世耕弘成さんが圧倒的な差で当選を果たしました。
今回はこの選挙に敗れた二階伸康さんの学歴や生い立ちなどについて調査してみました。
その前に二階伸康さんのお父さんである二階俊博さんについて簡単に紹介しておきましょう。
二階俊博三男大学:二階俊博の略歴
二階俊博(にかいとしひろ)さんは1939年(昭和14年)2月17日生れの85歳で1983年12月18日に旧和歌山2区から出馬して第37回衆議院議員総選挙に立候補して5万票以上の票を獲得して2位で当選を果たしました。
当選後は自由民主党の田中派に所属、そのご数々の政党を渡り歩き最後は自由民主党に戻り二階派を設立。
そして2024年の衆議院議員総選挙では自身の3男である伸康さんを擁立して選挙を戦いました。
40年以上に渡り国会議員として活躍した二階俊博さんは1957年に中央大学法学部政治学科に入学、まさに大学時代から政治家になるために我が道を歩んで来た人なのです。
大学卒業後は静岡県選出の衆議院議員で建設大臣を務めた遠藤三郎(えんどうさぶろう)さんの秘書として政治の道へと踏み込んできました。
この遠藤三郎さんが逝去した後、二階俊博さんは故郷の和歌山に戻り1975年4月に和歌山県県議会議員選挙に立候補して当選を果たし、連続2期務めました。
その後1983年12月18日旧和歌山2区から自由民主党公認(田中派)として第37回衆議院議員総選挙で当選を果たし、国会議員としての活動がはじまりました。
なおそんな二階俊博さんは超親中派議員としてもつとに有名です。
日中友好議員連盟会長である二階俊博さんは2024年8月27日から29日まで日中友好議員連盟訪中団を引き連れて北京を訪問。
習近平さんとは会うことも許されず、外交担当トップの王毅外相と会談を行いました。
しかしながらこの会談では王毅外相が30分間の会談時間のなかでその時間のほとんどを王毅外相がしゃべり二階さんは中国軍機の領空侵犯、また毎日のように領海侵犯を繰り返す中国海警局への抗議など何一つできないまま会談は終了してしまったのでした。
ここにも日本の弱腰外交が表れていますね。
二階俊博さんがいう日中友好というのはただひたすら中国の言う事を聞くだけなんでしょうか。
二階俊博三男大学:二階伸康の学歴
それでは今回の衆院選で落選の憂き目にあった二階伸康さんの学歴や生い立ちについて紹介して行きましょう。
二階俊博さんのお子さんは3人で、全員が男の子です。
長男が13歳年上の二階俊樹(にかいとしき)さん59歳で、次男が6歳年上の二階直哉(にかいなおや)さん52歳となっています、いずれも2024年6月現在の年齢です。
今回の衆院選に二階俊博さんの跡を継いで立候補したのが三男の伸康さんでした。
二階伸康さんは1978年(昭和53年)1月4日生れの46歳です。
出身地は和歌山県御坊市となっています。
二階伸康さんが卒業した高等学校は御坊市島45にある「和歌山県立日高高等学校」です。
ここは地元御坊市にある進学校として有名な高校です。
日高地方で教育の中核を担う伝統校なのです。
お父さんの二階俊博さんもこの高等学校を卒業されています、偏差値は50でやや難関校となっています。
この高等学校は国公立現役合格者の割合が20%を超える進学校となっています。
そして有名私立大学への多数の合格者を輩出していることでも有名です。
平成30年には文部科学省から「科学技術分野の創意工夫育成功労学校賞」を受賞するなどの高い評価を得ている学校です。
また、3つの姉妹校、中華人民共和国の陝西省にある西安中学、同じく中華人民共和国の遼寧省にある大連第一六中学、デンマークのフレデリクスハウン高校とも交流を盛んにしているのです。
二階伸康さんが卒業された大学は「青山学院大学法学部・公法学科を卒業されています。
お父さんの俊博さんも中央大学法学部政治学科の出身なのでお二人とも法律に興味があったようですね。
二階伸康さんは大学を卒業すると全日本空輸株式会社(ANA)に入社して社会人としての経験を積まれているのです。
なおこのANAの採用大学ランキングでは2020年で「青山学院大学」がトップでありました。
ANAでは空港ラウンジでのデジタルコンテンツの提供、商品戦略部スーパーアドバイザー、オペレーション統括本部旅客サービス部を歴任されています。
二階伸康さんの社内での評判はとても良かったということです。
二階俊博三男大学:二階伸康政治家への歩み
その後ANAを退職された二階伸康さんは2014年に父親である二階俊博さんの公設秘書として活躍が始まり政治家への一歩を踏み出したのです。
東京では議員宿舎で父親の二階俊博さんと一緒に暮らし、父親の政治家としての背中を見ながら育ってきたようですね。
公設秘書とうのは国会議員に付される秘書で身分は「国家公務員」という立場になります。
その第一秘書として父親の政治活動を支えてきたのです。
伸康さん曰く「物心ついた頃から右も左も前も後ろも政治と選挙だった」と語っていました。
父親の秘書として長きに渡って活動して来たからこその言葉ですね。
地元の御坊市に引っ越してからは後援会などの挨拶回りを精力的にこなし、その穏やかな性格と相まって地元での評判はかなり良かったようです。
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民間会社でのサービス業としての経験も豊富で誰にでも腰が低く、謙虚な態度に好感を持たれました。
地元では二階俊博さんの後継者としての評判も良く、期待される声は日増しに高まって行ったのでした。
航空会社で働いていた経験から伸康さんは「南紀白浜空港への増便やLCC(格安航空会社)などの誘致など積極的に行い、首都圏との往来を活発化させたい、海外とのチャーター便も増やして行きたい」との豊富も述べています。
これが実現すると和歌山県も今以上に発展することでしょう。
二階俊博三男大学のまとめ
2024年3月25日に自由民主党二階派トップの二階俊博さんは自由民主党の裏金問題などを受け、時期衆議院議員総選挙には出馬しないことを表明しました。
この時、二階俊博さんにも3,500万円以上の裏金が発覚していたのです。
このまま議員を続けていてもやがて自分にも処分の矛先が向いてくることなども鑑みての事でしょう。
そこで父親の後を継いで浮上したのが三男の二階伸康さんでした。
青山学院大学を卒業後は民間企業(ANA)で働き実務の経験をこれからの政治に活かすべく、政治家への道を選んだのでした。
その後、父親の公設秘書として長年にわたり父親の背中を見て成長してきた伸康さんは民間企業での経験も豊富で物腰も低く地元での評判は上々でした。
選挙方針も父親の辿った道を踏襲すべく、主権者に語り続けて来ました。
しかし、選挙の結果は対立候補の世耕弘成さんに惨敗という結果になってしまいました。
だからといって二階伸康さんは政治家への道を諦めた訳ではありません。
次には来年の参議院議員選挙(2025年07月28日任期満了)への出馬に意欲を燃やしているのです。
父親の二階俊博さんから政治家とはかくあるべしとの教育を十分受けて成長してきた二階伸康さんは政治家としての資質は十分に備わっていることでしょう。
来年(2025年)の第27回参議院議員総選挙にはぜひ巻き返しを図ってもらいたいですね。
最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。
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