夏井いつきと元夫の知られざる過去を探ると壮絶な真実がわかって来た

タレント

夏井いつきさんは人気テレビ番組の「プレバト」で歯に衣を着せぬ辛辣な俳句評で出演者の俳句を評価する姿が人気を呼び今や俳句の先生として全国的な有名人となっています。しかしながらそんな夏井斎さんにも離婚歴がり壮絶な過去があります、今回はこんな俳句の先生である夏井いつきさんの元夫とはどんな人だったのかまた今の夫との馴れそめなどを深掘りして紹介して行きたいと思います。

夏井いつき元夫序章

 

夏井いつき(なついいつき1957年〈昭和32年〉5月13日生れ66歳)さんは俳句の先生として有名です。

 

愛媛県の出身で最終学歴は京都女子大学文学部国文科を卒業されて、昭和55年に国語の先生として松山市立余土中学校へ赴任されました。

 

夏井いつきさんは元々俳句が大好きだったため、教師時代から教職と家庭を両立させながら趣味の俳句を独学で学んでいました。

 

この夏井いつきさんを全国的に有名にしたのが2012年(平成24年)に始まったテレビ番組の「プレバト」(プレッシャーバトルの略)でした。

2013年から俳句のコーナーを始めたのをきっかけに俳句部門の査定を担当するようになってからでした。

 

芸能界の大御所が沢山出演するこの番組ですが、その俳句に対する評価は容赦なく辛辣な言葉で突っ込みをいれます。

しかし、夏井いつきさんの批評はキツい言葉でありながらキツく聞こえないという不思議な雰囲気をもっており、出演者で夏井いつき先生の言葉に対して怒った人は今まで一人もいません。

 

出演する前は皆さん怖がりますが、一回出演すると必ずもう一回出演したいと思うようになり、スタッフも出演者も夏井先生の教え子となってしまいます。

 

夏井いつき元夫との壮絶な過去

 

このようにして全国的な人気者になっている夏井いつきさんですが、夏井いつきさんには壮絶な過去があるのです。

 

夏井いつきさんには離婚の過去もあり、もと夫とはどんな人なのか。

 

その夫と離婚する理由はどこにあったのかまた現在の夫とのなれそめなど夏井いつきさんの壮絶な人生の歴史ドラマを掘り下げて紹介して見たいと思います。

 

夏井いつきさんは愛媛県南宇和島郡内海村の出身で京都の大学を卒業すると1980年(昭和55年)に国語教師として松山市立余土中学校へ赴任します。

 

そして中学校の教師をしていた25歳のときに同じ教師仲間であった男性と結婚します。

 

教師を続けながらも、結婚後には一男一女の子供2人を授かります。

 

子育てと教師の仕事を続けながらも充実した日々を送っていましたが、夏井いつきさんが30歳の頃に義父が他界します。

 

それが夏井いつきさんの壮絶な人生の幕開けとなって行きました。

 

義父を亡くしたことに端を発してこんどは義母の体調が急激に悪化してしまい老人性うつ病になってしまいます。

 

そのため夫の母親を一人にすることができなくなりました。

 

松山市内にある夫の実家で介護をする必要に迫られたのです、そしてやむなく教師を辞することになってしまったのです。

 

そうして、10年が経過して夏井いつきさんが40歳になったときに、こんどは実母が脳腫瘍を発症してしまい、義母と実母の介護が始まりました、二人の面倒を見なければならなくなりました。

 

実の母親も引き取ることになり、夏井いつきさんは子供2人の子育てをしながら同時に実母と義母の面倒もみなければならない状態になってしまったのです。

 

ところがこの実母と義母の関係が最悪の状態になってしまいます、つねに諍(いさかい)いを起こしてしまうのです。

 

そしてこの親同士の諍いが絶えないためこんどは夫がうつ病になってしまいます。

 

それにもまして夏井いつきさんが心を痛めたのは当時思春期を迎えていた長女がそんな家庭のいざこざが原因で不登校になってしまいます。

 

当然そうなってくると、こんどは夏井いつきさん自身が疲弊してきました、その後は夫との間もうまく行かなくなり、夏井なつきさんは二人の子供を引き取ることを条件に離婚に至ります。

 

ただ夏井いつきさんは唯一の趣味として独学で俳句をたしなんでいました。

 

夏井いつき元夫:夏井いつきと俳句の始まり

夏井いつきさんが俳句に親しむようになったのはいつからだったのか。

それは、今から30数年前に書店でなにげなく手にした俳句雑誌を見ているうちになんとなく「俳句って面白そうだな」と思うようになったのです。

そして、その手にした俳句雑誌に投稿をするようになりました。

 

するとその俳句が入選してその俳句雑誌の先生だった黒田杏子(くろだももこ)先生が丁寧な解説を書いてくれたのです。

 

夏井いつきさんはそれが非常に嬉しくて、まるでその瞬間に黒田先生の弟子になったような気持ちになったと後日語っていました。

 

そこから夏井いつきさんは俳句に取り組みはじめたのです。

 

そして段々俳句の面白さにのめり込んで行き、1988年(昭和63年)にはついに教職を辞したうえで俳人に転身してしまいました。

当時、日本を代表する俳人であった黒田杏子氏に師事しながら自宅のあった松山を拠点に俳句を本格的に手がけ始めました。

 

離婚後は俳句関連の仕事はすべて引き受けるという思いで俳人としての活動に没頭していきました。

 

夏井いつき元夫:夏井いつきと加根光夫さんとの馴れそめ

 

そうして仕事を続けているうちに今の夫であるCMプロデューサーの加根光夫(かこんみつお)さん夏井いつきさんより8歳年上と知り合いました、

 

きっかけは当時加根光夫さんがプロデュースしていたネット番組への出演依頼を夏井いつきさん(当時46歳)にしたことからでした。

 

このネット番組は諸般の事情で実現しませんでしがが、これをきっかけに加根光夫さんは夏井いつきさんと付き合いを始めました。

 

この加根光夫さんが手がけた人気CMがあの中村玉緒さんが出演した、マロニーちゃんシリーズです。

 

元々加根光夫さんは俳句に興味があり、夏井いつきさんと知り合うまえから夏井いつきさんのファンであったそうです。

 

そして自身も「兼光」(かねみつ)という俳号で投句を楽しんでいたのです。

 

その頃、加根光夫さんは博報堂関西支社に勤務しており、松山に訪れるたびに夏井いつきさんの実家を訪れ子供達の面倒をよく見ていたそうです。

 

この博報堂は夏井いつきさんが師と仰いだ黒田杏子先生も大学を卒業後に入社していたことがあります。

 

このあたりもなにやら現夫の加根光夫さんと巡り会う因縁のようなものが感じられますね。

 

そして折に触れ加根光夫さんは夏井いつきさんにプロポーズしていたそうですが、その時は夏井いつきさんは結婚する気は全くありませんでした。

 

なぜなら夏井いつきさん自身は43歳で離婚をしたときには言葉で表せないほどの開放感を感じたそうです。

 

結婚さえしなければ離婚の苦痛からも逃れられる。

 

それを思うともう二度と結婚はするまい、ましてや今の私には成人した23歳の娘と22歳の息子がいる身であるから、と夏井いつきさんは真剣にそう思ったのでした。

 

ところが、ところがそれから2年後に運命の人、加根光夫さんに巡り会うのでした。

 

加根光夫さんはそんな夏井いつきさんの窮状をよく理解した上で、夏井いつきさんの心配事をすべて引き受け、二人の子供さん達とも非常に仲良くなったのでした。

 

そしてついに加根光夫さんの念願がかなって交際3年後に夏井いつきさんと結婚にゴールインできたのでした。

 

もちろんこの結婚をだれよりも喜んで祝福してくれたのは二人の子供さんでした。

 

夏井いつき元夫のまとめ

 

夏井いつきさんは今日本で最もしられた俳人となっています。

 

プレバトでの辛辣で容赦のない俳句批評を出演者に投げかけていますが、そこには全く嫌みのようなものは感じられません、むしろ叱られて喜ぶ出演者ばかりなのです。

 

こうして大人気番組へと成長させ日本中に俳句ブームを引き起こしたのでした。

 

そしてこの夏井いつきさんの大活躍を影で支え続けてきたのが今の夫である加根光夫さんであることはいうまでもありません。

 

加根光夫さんは夏井いつきさんが仕事をするにあたってのびのびと自由に活躍できるよう影に日向に夏井いつきさんを支え続けてきたのでした。

 

こうして夏井いつきさんは前夫とは全く構築できなかった夫婦の絆を今やっと加根光夫さんと巡り会うことで築くことが出来たのです。

 

この絆を大切にこれからも二人で大きく飛躍成長して行ってほしいものですね。

 

最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。

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