日本芸能界における個性派俳優の大御所勝野洋さん、そんな勝野洋さんは先祖を大切にすることでも有名で月に3回はお墓参りに行くほどです。今回はその勝野洋さんを取り上げ学歴や生い立ちなどを出来るだけ詳しく調査報告して見たいと思います。この記事を読み終える頃にはきっとあなたも勝野洋ファンの一人になっていることでしょう、是非最後までお読み下さいね。
勝野洋学歴の序章
勝野洋さんは1949年(昭和24年)7月27日生れの76歳で、出身地は熊本県阿蘇郡小国町です。
職業は俳優で、所属事務所は株式会社「ホリプロ・ブッキング・エージェンシー」所属となっています。
勝野洋さんは青山学院大学在学中にモデル活動をやっていましたが、自身を向上させるために俳優を目指し劇団「現代演劇協会」に入団して俳優への道に踏み入れたのでした。
そんな勝野洋さんを一躍有名にしたのが石原裕次郎主演の刑事ドラマ「太陽にほえろ!」のテキサス刑事こと「三上順」約に抜擢されたことでした。
「太陽にほえろ!」では先輩の竜雷太(りゅうらいた)さんから一から始動をうけ、また露口茂(つゆぐちしげる)さんの演技には深い感銘を受けたと後に語っていました。
この間38話に出演し、勝野洋さん扮する刑事「三上順」が殉職する回では、同ドラマ史上で最高視聴率42.5%を記録したのでした。
こうして勝野洋さんは名実ともに芸能界における実力派俳優としての地位を確立して行ったのです。
その後も1978年には映画デビューを果たしました。
そして同年の日本テレビの「姿三四郎」で初主演。
また時代劇にも出演し「柳生あばれ旅」では剣豪・柳生又十郎宗冬、「鬼平犯科帳」では同心・酒井裕助役を演じ重要な役柄をこなしてその演技の幅を広げて行ったのです。
またCMでは1977年から1986年までの9年間を通し、大正製薬の「リポビタンD」のCMにも起用され現・渡辺裕之さんとの名コンビで広く国内での人気を博していました。
勝野洋学歴:勝野洋幼少期からの生い立ち
勝野洋さんの生れ故郷である熊本県阿蘇郡小国町は杖立温泉がる風光明媚な温泉町です。
そんな勝野洋さんの実家は小国町でお祖母ちゃんが温泉旅館を営んでいました。
勝野洋さんは当時両親とお姉ちゃんの4人家族でしたが、勝野洋さんが3歳の時に両親が離婚。
そこで勝野洋さんは0歳から12歳までの幼少期を過ごしたのです。
勝野洋さんは3歳の時にお母さんが家を出たためお母さんのことはほとんどなにも覚えていないそうです。
その頃お父さんは自衛隊の前身である警察予備隊に勤務していて、全国を転々としていたため、お姉ちゃんと勝野洋さんはお祖母ちゃんの家で生活をしていたのです。
※警察予備隊は昭和25年になって朝鮮戦争が始まり国内の在日米軍の主力が国連軍となって朝鮮に派遣されたために国内の治安維持を目的として同年8月に政府は自衛隊の前身となる警察予備隊を創設したのでした。
当時は三池炭鉱の全盛期でそこで働いている人達のお客さんが多く毎日宴会を見て育ったそうです。
小さい頃から旅館に来たお客様に可愛がられ初めて酔っ払ったのは5歳の時だそうです。
これはお客様に勧められたお酒を水と思い一気に飲んでバタンキューとなってしまったそうです。
気が付けばおばあちゃんにおしりをバチバチとたたかれていたそうです(^_^)
勝野洋の学歴
勝野洋さんが卒業した小学校は地元小国町の公立校の下城小学校の分校の杖立分校を卒業しました。
中学生になると実家を離れて熊本市内で下宿生活が始まります。
これは勝野洋さんが「九州学院中学校」を受験して合格したため熊本市内での下宿生活が始まったのです。
中学生になったばかりで故郷を離れての三畳一間の下宿生活のため当時は寂しくて仕方がなかったそうで、お祖母ちゃんからの手紙を抱いて寝ていたそうです。
高校は中高一貫校であったため「九州学院高等学校」へと進学しました。
この高校は部活のさかんな高校で剣道部や柔道部、硬式野球部、サッカー部などが県内では強豪として名が通っています。
そんな勝野洋さんは中学時代は何の部活のやっていませんでしたが、高校に入ると柔道部に所属します。
そうして持ち前の体格の良さと体力で柔道の腕前はメキメキと上達して行きました。
そして中学時代はあまり活発ではありませんでしたが、高校で柔道をやるようになってからは活発な青年へと成長して行ったのです。
ちなみにこの高校の卒業生にはロサンゼルスオリンピックで金メダルを取った柔道の山下泰裕(やましたやすひろ〈日本の柔道家・体育学者〉)さんは柔道部の後輩にあたるそうです。
山下泰裕さんは現在日本オリンピック委員会(JOC)の会長を務められています。
この学校で勝野洋さんは活発な青年へと成長しますが、同校は男子高だったため、女子とは縁がなかったそうで当時の勝野洋さんは女性とお話をすることが苦手だったそうですね(^_^)
高校を卒業すると高校時代から学業優秀であった勝野洋さんは東京にある「青山学院大学」へと進学します。
大学では経営学を専攻すると共に柔道部にも入部しました、そして大学卒業時には柔道三段の資格を得ています。
この大学時代には勝野洋さんはいろんなアルバイトをやります。
道路工事、キャバレーのウエイター、そしてファッションモデルのアルバイトまでやったのです。
勝野洋さんの芸能活動のきっかけとなったのがこのモデルをやっていた時にCMに出演し、その時の共演者であった俳優の大橋一元(おおはしかずもと)さんの勧めで劇団「現代演劇協会」に入団し、役者へと進んで行きました。
勝野洋学歴のまとめ
勝野洋さんは熊本県阿蘇郡小国町で誕生し地元の小学校を卒業すると試験を受けて九州学院中学校へと進学します。
幼少期より学業優秀であった勝野洋さんは中学より受験を突破して入学するほどの成績でした。
中学生の時から故郷を離れ下宿生活をした勝野洋さんは大学は東京の「青山学院大学」へと進学しここを優秀な成績で卒業しました。
大学時代に劇団「現代演劇協会」に入団した勝野洋さんは当時人気絶頂であったテレビ番組「太陽にほえろ!」に出演していた松田優作(まつだゆうさく)さん亡き後のテキサス刑事こと「三上順」役に抜擢され人気が急上昇して行きました。
私生活においては今年2024年は女優のキャシー中島さんと結婚してから45年目、「太陽にほえろ!」でデビューしてから50年という節目の年にあたります。
勝野洋さんはキャシー中島さんとの間に生まれた歌手でモデルの長女「七奈美(ななみ)」さん〈29歳)を肺がんで亡くすという不幸にみまわれますが、残された家族の絆は非常に強いものがあります。
また、お二人は共に両親が離婚するという不幸があっただけに家庭を大事にする気持ちが人一倍強いのです。
そして勝野洋さん夫婦は芸能界でも有数のオシドリ夫婦(仲睦まじい夫婦のこと)として有名です。
現在は静岡県御殿場市で自然に囲まれた暮らしをしています。
そんな勝野洋さん夫妻は、いまでは長女を亡くした悲しみを乗り越え、次女の勝野雅奈恵さんの3人の子供さん達に囲まれ良いおじいちゃん、お祖母ちゃんになっているのです。
後期高齢者となられた勝野洋さんではありますが老いを感じさせず活躍を続けていらっしゃる勝野洋さん。
幾つになっても芸能界での活躍に目が離せませんね。
最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。
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