杉田かおるの元夫は財閥の御曹司でマサチューセッツ工科大学卒の秀才だった

タレント

杉田かおるさんは7歳で芸能界デビューを果たし女優として芸能界で長く活躍して来ました。しかしその人生は実に波瀾万丈の人生を送って来られたのです、今回はそんな杉田かおるさんの人生や元夫とはどんな人だったのかを出来るだけ詳しく調査してみました。ぜひ最後までお読み下さいね。

杉田かおる元夫:杉田かおるの略歴

杉田かおるさんは1964年(昭和39年)11月27日生れの59歳で、出身地は東京都新宿区です。

職業はタレント、女優、元子役です、結婚前の本名は「橋本かおる」と言います。

所属事務所は2019年より株式会社「オフィスPSC」となっています。

杉田かおるさんの学歴は名城学園高等学校を中退して、日本放送協会学園高等学校(現・MHK学園高等学校)に入学し、ここを卒業し、大学へは進学していません。

杉田かおるさんは東京生れですが、2歳の時に母親の美年子(みねこ)の実家のある福岡へと転居します。

そして再び5歳になった時に東京の杉並区へと引っ越して来ました。

杉田かおるさんは東京で通い始めた幼稚園ではよく泣かされる引っ込み思案な子供でした。

そのため両親は小さいうちから対人関係がキチンと出来るように西荻窪の劇団(劇団若草)に入団させ、ピアノや歌、踊りなどを習わせました。

そして1972年に初めて舞台に立ち「春の坂道」で子役としてデビューを果たしたのです。

7歳になると石立鉄男さんが出演するテレビドラマ「パパと呼ばないで」で橋本千春(チー坊)役を演じます。

このドラマは大ヒットして杉田かおるさん扮するチー坊は全国的に有名になり「天才子役」とまで呼ばれるようになって行ったのです。

 

杉田かおる元夫:杉田かおるの芸能活動

その後の杉田かおるさんの芸能活動は順調に推移して1975年には「ウルトラマンレオ」にも出演します。

そして杉田かおるさんをそれ以上に一躍有名にしたのが1979年から1980年にかけて放送された大人気番組「3年B組金八先生」でした。

このドラマでは妊娠出産する中学生役を演じ世間にセンセーションを巻き起こすなど大きな反響を呼びました。

このように小さい時から芸能活動が順調に進んだために13歳の中学生の時に個人事務所を設立するなどしました。

その後もお父さんの保証人になったことにより、事務所独立や借金問題などで私生活においてはもめ事が多くなっていったのです。

しかし相変わらず芸能活動は順調で1980年に出演したドラマ「池中玄大80キロ」は大ヒットドラマとなりました。

杉田かおるさんが挿入歌としてリリースした「鳥の歌」がこれまた大ヒットという幸運に恵まれたのでした。

数々の人気ドラマに出演した杉田かおるさんでしたが、それ以後はしばらくの間女優業が低迷してしまいます。

特にドラマ出演が減少し、1987年の「三匹が斬る!」のレギュラー以外はほとんどが単発の出演になってしまいました。

映画の方では1981年の「青春の門」で映画初出演を果たします。

その後大ヒット映画の「男はつらいよ」シリーズの第32作にも出演を果たすなど、映画出演も徐々に増えて行きました。

そんな杉田かおるさんでしたが今の時代に全盛のインターネットに目を付けるのが早くて1995年には早くも自信のホームページなどを開設していたのです。

そして対談などで知り合った人たちにもホームページの開設などを進めていたのです。

 

杉田かおるの元夫鮎川純太とは

 

杉田かおるさんは2013年に建築関係の博士号を持つ6歳年下の会社員と半年の同棲の後、結婚したことを発表したのです。

しかしこの結婚は杉田かおるさんにとっては二度目の結婚で杉田さん自身にとっては再婚という形になりました。

杉田かおるさんは2005年1月11日に日本産業コンツェルンの創始者の孫である鮎川純太(あゆかわじゅんた〈現テクノベンチャー会長兼社長〉)さんと結婚を果たしていたのです。

結婚当初は大財閥の玉の輿に乗ったと世間を大いに騒がせたものでしたが、なんとこの結婚生活は約7ヶ月で破局へと向かってしまいました。

そして8月11日には離婚が成立してしまいます。

その後はまたバラエティー番組や女優としての活躍を再開させたのでした。

この杉田かおるさんが結婚したお相手の鮎川純太さんは日本産業コンツェルンの創始者「鮎川義介(あゆかわよしすけ)」さんの孫に当たる方でした。

この鮎川義介さんは1920年に「戸畑鋳物株式会社」を設立し戦前においては後発の財閥でありながら、製造業に関しては三菱、三井などの先行財閥を凌駕する大規模な資本を築き上げました。

しかしながら終戦後に財閥解体の標的になりGHQにより解体されてしまいます。

現在は資本の再結集は行われていませんが、新たに「春光グループ」を形成しています。

また今日有名な自動車会社の日産自動車株式会社はこの日本産業コンツェルンから派生した会社なのです。

杉田かおるさんの元夫「鮎川純太」さんの生れ故郷はアメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンで今でも敬虔なカトリック教徒なのです。

この鮎川純太さんは離婚に関する杉田かおるさんの発言に対して過剰な発言であるとして関西テレビに訂正放送と謝罪を要求し、全面的に認められた経緯があります。

 

杉田かおる元夫のまとめ

杉田かおるさんは1972年に芸能界に子役としてデビュー以来、現在に至るまで連帯保証人で1億円以上の借金を抱えたり、はたまた不倫騒動などで波瀾万丈紆余曲折の人生を経て来ました。

しかし、今では幸せな再婚を果たし優しい旦那様と湘南に住居を構えて憧れていた農作業などに従事しながら幸せな日々を送っているそうです。

一方の杉田かおるさんの元夫である鮎川純太さんは1960年(昭和35年)9月4日生れの63歳で、東京の成蹊(せいけい)大学経済学部を優秀な成績で卒業しました。

その後、米国のマサチューセッツ工科大学大学院で経営学を学びました。

帰国後には日系企業によるアメリカのベンチャー企業の買収など国内外のM&Aを担当するなど事業家として大活躍しておられます。

現在の肩書きは「テクノベンチャー代表取締役社長」「テクノベンチャー代表取締役会長」を勤めるなど日本経済界において大活躍を続行中なのです。

杉田かおるさんとの離婚後は再婚することはなく現在の配偶者はありません。

しかし、63歳と今の時代ではまだまだお若い年代でこれからどのような素晴らしい伴侶に巡り会うかもわかりません。

私生活や事業活動においてこれからもますます活躍の場を広げて行かれることでしょう。

杉田かおるさんに置かれましてもますますご健勝で末永くご夫婦で幸せな人生を送られることを祈っています。

最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。

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