ワタリ119さんは元消防士でいまはお笑いピン芸人として大活躍されています、小さい頃からスーパー戦隊に憧れ実世界のヒーローである消防士になったようですね、消防士からお笑い芸人に転向したワタリ119さん、今回はそんなワタリ119さんの学生時代はどんな時代だったのかに焦点をあてて紹介して見たいと思います、ぜひ最後までお読み下さいね。
ワタリ119高校:ワタリ119の略歴
ワタリ119はお笑いピン芸人で元消防士、本名を石渡慶太(いしわたりけいた)と言います。
1993年(平成5年)10月24日生れの31歳で、所属事務所は株式会社「ワタナベエンターテイメント」です。
小さい頃からスーパー戦隊や正義の味方にあこがれ、大きくなったら絶対にスーパーヒーローになるんだと思っていました。
そして現実には消防士などを身近なヒーローと思うようになって行きました。
そこで石渡青年は高校を卒業すると、札幌市で消防署に就職します。
そこで訓練を積み、消防士として日夜市民の安全を守るために任務を遂行していました。
消防士として札幌の地に3年8ヶ月間勤務に就いていました。
消防士時代には「全国消防救助技術大会北海道地区予選」の代表に選ばれましたが、不幸にも予選大会直前になって交通事故に遭遇してしまい出場を断念せざるを得ない状況になってしまいます。
その時に「こんなありさまでは自分は人の命を救う資格はない!」と自虐的になってしまい、消防署を退職してしまいます。
そして一念発起、退職後の2015年10月に「ワタナベコメディスクール(23期生)」として入学します。
そこを卒業すると同じスクール生だった「ななえ」さんとコンビを組み「キラキラ関係」を結成する。
石渡青年はボケを担当しました。
そして2020年3月になると4年近く続いたコンビを解消、ふたりはまたピン芸人に戻ります。
2018年にはアメリカの人気テレビドラマ「シカゴ・ファイア」の宣伝マンに就任しています。
芸能活動を続けながらも、石渡青年は2022年5月15日に「防災士」の資格を取得します。
ワタリ119の高校時代とは
そんなワタリ119さんですが学歴や家族構成・生い立ちは一体どうなっているのか知りたいですよね。
ワタリ119の石渡慶太さんは北海道の伊達市出身です。
北海道伊達市と言えば札幌市と函館市の中間に位置している海岸線を持つ市で、北海道の湘南と言われるほど、キレイな海岸線をもっているのです。
伊達市は活火山の有珠山が側にありそのためか、北海道でありながら冬は比較的温暖で雪も少なくて風光明媚な場所として知られています。
この有珠山に育まれ野菜作りが盛んで昔から「伊達野菜」と呼ばれ伊達市は北海道でも有数の農産地でもあります。
ワタリ119さんはそんな環境の良いところで育ってきました。
ワタリ119さんの家族は元々両親とワタリ119さんの3人家族で兄弟はいませんでした。
そんなワタリ119さんは小学校や中学校の情報はほとんど公表されていませんが中学校は「伊達市立光陵中学校」ではないかとの推測がされています。
中学校時代は伊達市内のサッカークラブ「NSS北湘南サッカースクール」に所属してサッカー少年だったそうですね。
地元の中学校を卒業したワタリ119さんはこれも地元の「北海道伊達緑丘高校」へと進学します。
高校時代は陸上部に所属して長距離ランナーとして活躍していました。
ただ、残念なことにこの高等学校は2023年の3月に閉校してしまいました。
高校時代からスポーツに勤しみ体を鍛えてきたワタリ119さんですが、性格的には意外と温和な性格だそうですね。
元コンビの「ななえ」さんが言うには、性格的には「直ぐに泣く」「オバケが怖い」「妙に頑固」だそうで、
特にオバケを異常に怖がり、当人の意志に反してドッキリ系の番組への出演が多いそうです。
高校時代には陸上部でランニングが多かったためずっと痩せていましたが、消防署に勤務するよになってからは
身体を鍛え上げ、筋肉隆々のマッチョなスタイルに変貌を遂げたようですね。
ワタリ119高校:ワタリ119とななえ
「ななえ」さんとコンビを組んでいたワタリ119さんはコンビ「キラキラ関係」を解散するとピン芸人として活躍するようになりました。
2020年の「R-1グランプリ」にピン芸人として決勝戦まで出場を果たし、注目を浴びたのでした。
ここでワタリ119と一緒にコンビを組んでいた「ななえ」さんについて簡単に紹介しておきましょう。
ななえさんは岡山県出身で1988年(昭和63年)生れの36歳でワタリ119さんよりも5歳年上のお姉さんということになりますね。
ななえさんは地元の高校を卒業後、バスガイドとして就職しました。
ななえさんは勝ち気名性格で曲がったことが大嫌いな性格でした。
そのため、バスガイド時代にはマナーを守らないお客さんには見て見ぬふりをすることが許せ無かったのですね。
そのためそんなお客さんと揉めることもしばしばあったそうです。
バスガイドをやっているうちに自分の人生はこれでいいのかと悩むようになって来たのです。
そこで一念発起してスッパリとガイドを辞めお笑い界へと進路を変更して吉本興業に所属していましたが、ここでも人間関係に悩んだのです。
そこで今度は吉本興業を辞め、上京し「ワタナベコメディスクール」に入り直します。
そこで同期として知り合ったのがワタリ119さんでした。
ワタリ119さんとコンビを組んでいた「キラキラ関係」時代にはななえさんがツッコミを担当、ワタリがボケとう位置関係でした、しかし時にはななえさんが突っ込まれることもあったという。
この時の二人の掛け合いがまるで親子のようでそんな関係を漫才で大いに生かしていたそうです。
そんなななえさん曰く、ワタリ119には心配事が多くて自分では「母親のような毎日であった」と話していました。
そのためすぐに手を出すことも多くてワタリ119には「それだけは止めて欲しい」と言われていたのです。
でもそれだけ心配してくれることはありがたいことですよね。
ワタリ119高校のまとめ
ワタリ119さんはコンビを解消してからはピン芸人として活躍するようになりました。
元々性格が真っ直ぐ過ぎると言われていたほどですから、そういった愚直なところが受けてテレビやメディアへの出演回数も徐々に増えていきました。
お笑い界の巨匠「さんま」さんは、ワタリ119を評して「みやぞん級の新種現る」とまで表現されました。
そんなワタリ119さんはどんなことにも体当たりの演技でぶつかっていくのでした。
元々負けん気の強い性格でしたが、反面ななえさんに言わせると「オバケが怖い」「直ぐに泣く」などともろい面もあるようです。
特にオバケは大嫌いでそのおびえ方が一般常識をはるかに超えてものがあり、ドッキリなどの番組にはもってこいのようですね。
そのため、自分ではドッキリなどの番組はあまり好きではないようですが、当人の思いに反してドッキリ番組などの出演が多いようです。
高校までは陸上競技をやっていて細身でしたが消防士となってからは身体を鍛え今ではマッチョなスタイルに変貌してきました。
そんなワタリ119さんはこれからも消防士の経験を生かした面白ネタを連発して大いにお茶の間を笑わしてくれることでしょう、今後の活躍にますます目が離せなくなってきましたね。
最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。
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