長山洋子の若い頃はアイドル歌手としてデビューしヒット曲を連発していた

アイドル

演歌歌手としていつも素晴らしい歌声を聞かせてくれる長山洋子さん、そんな長山洋子さんですが最初はアイドル歌手としてデビューを果たしていたのです、今回はそんな長山洋子さんの若い頃に焦点をあてて調査してみました、この記事を読み終える頃にはきっとあなたも長山洋子さんの大ファンになっていることでしょう。ぜひ最後までお読み下さいね。

長山洋子若い頃の序章

長山洋子さんの職業は演歌歌手、女優そして津軽三味線澤田流の名取りでもあります。

1968年(昭和43年)1月13日生れの56歳で、出身地は東京都大田区です。

長山洋子さんは今では演歌歌手として盤石の地位を築いておられますが、元々はアイドル歌手として活躍していたのです。

現在の長山洋子さんからはちょっと想像が付きにくいと思われる方も多いと思います。

そんな長山洋子さんは1984年にアイドル歌手としてデビューして以来1990年頃まではアイドル歌手として活躍していました。

そのため活動の幅が大変広く、歌手、女優、だけに留まらず喜劇役者としての経験もあります。

長山洋子さんを有名にしたのはなんと言ってもアイドル時代に出した8枚目のシングル曲「ヴィーナス」という曲です。

この曲はオランダのロックグループ「ショッキング・ブルー」というロックグループが1966年にリリースして全ヨーロッパでのヒット曲となったのです。

ですからこの曲はアイドルが歌う曲というよりはもっと大人っぽい曲でした。

そして演歌歌手としての素質をうちに秘めた長山洋子さんなればこその歌いっぷりで見事にヒットさせたのです。

元々演歌歌手としてデビューする予定が、長山洋子さんその当時はまだ16歳の高校1年生という若さだったのです。

そこで演歌を歌うにはまだ早いということで、事務所の判断で急遽アイドル歌手として路線を変更してしまったのです。

本人にしてみれば路線を急に変更されアイドルの道をまっしぐらに走らされた訳ですから大いに戸惑ったことでしょうね。

そして当時は考える暇もなく、アイドル路線をまっしぐらに走らされた訳でした。

 

長山洋子若い頃:演歌歌手を目指した訳とは

長山洋子さんの育った家庭の家族構成の詳しい情報は見つかりませんでした。

そんな幼少期の長山家に流れる曲は演歌と民謡がほとんどでした。

そのため、長山洋子さんも演歌や民謡に馴染んで育って来たのです。

そしてお父さんが通っていた民謡教室にお父さんに誘われて4歳から通い始めたのです。

民謡教室ですから当然同世代の子供達は全くいませんでした、そのため周りからは大変可愛がられたそうですね。

長山洋子さん自身も民謡が大好きだったので民謡教室を辞めることなくずっと続けていました。

そして10歳の時に民謡講師の勧めで三味線を始めました。

長山洋子さんはこの民謡教室でスカウトされ芸能界入りを果たしますが、デビュー以前に「ビクター少年民謡会」の一員としての活動もしていました。

この頃の超人気番組の「8時だョ!全員集合」にも子供達が講師になってドリフのメンバーに民謡を教える講師役として出演の経験もありました。

そしてドリフのコント専門番組の「ドリフ大爆笑」には何回も出場しているのです。

この当時長山洋子さんはまさか自分がアイドル歌手としてデビューするとは神ならぬ身の知る由もありませんでした。

 

長山洋子若い頃:長山洋子の再デビュー

長山洋子さんはアイドル歌手としても大成功を収めましたが女優としてもその素質の良さを見せつけました。

1988年には初めて主演の映画「恋子の毎日」という映画が制作されたのです。

そして1990年になると当時のゴールデンタイムにおける大人気番組「三匹が斬る!」や「ミニパトより愛をこめて」「誘惑」など多数のドラマ出演も果たしているのです。

この頃になると、仕事も大変忙しくなって来ました。

そして1993年に今度は長年の夢であった正真正銘の演歌歌手として再デビューを果たしました。

この時の曲は「蜩(ひぐらし)」という曲でスタッフの心配をよそに大ヒットになったのです。

思えば、元々演歌歌手としてデビューする予定がアイドル歌手になり、遠い回り道をしてついに本物の演歌歌手として再デビューするなりこの大ヒットでした。

神様はちゃんと見ていてくれたのです。

そして実力派歌手の大舞台であるNHKの紅白歌合戦にもこの曲で出場し、その後2007年まで14回もの連続出場を果たしました。

まさに演歌歌手の神髄をみせてくれたのです。

紅白歌合戦に連続出場しているさなかの2003年には「じょんがら女節」で三味線の立ち弾きを見せて三味線の実力も相当の腕前であることがわかり視聴者の皆さんをうならせたのです。

 

長山洋子若い頃のまとめ

長山洋子さんは演歌歌手としての実力がありながら、若いが故にアイドル歌手としてデビューを余儀なくされました。

しかし、その秘めたる実力はアイドル歌手としても大成功をおさめたのです。

1984年にアイドル歌手としてデビュー以来アイドル街道を真っ直ぐに走ってきた長山洋子さんでした。

そして今度は演歌歌手として1993年に本当になりたかった演歌歌手としてのデビューを果たしたのです。

その後はまさに水を得た魚のようにアイドル時代以上の人気を見せました。

そして第44回NHK紅白歌合戦に初出場以来、連続で14回も出場するという快挙を成し遂げているのです。

NHK紅白歌合戦は歌手であれば誰もが出場を夢見る歌手達の晴れ舞台なのです。

その晴れ舞台に連続14回出場という輝かしい記録を打ち立てて、長山洋子さんの面目躍如たる活躍をみせてくれたのです。

私生活のほうでも順調で2009年にはアメリカ人実業家との結婚を発表しています。

そして翌年の2010年に第一子の女児を出産しました。

この時は42歳という高齢出産でしたが全くなんの問題もなく、母子ともに健康で出産出来たのです。

そんな長山洋子さんにも人生初のアクシデントが待ち受けていたのです。

歌手活動は順調でしたが、2019年に乳がんの手術を受けていたことを発表したのです。

手術は無事成功し今では何の問題もなく歌手活動を続けていらっしゃいます。

演歌歌手としてますます円熟味を増して来た長山洋子さん。

これからの活躍にも目が離せません。

いつまでもその素晴らしい歌声を聞かせてくれることを祈らずにはおれませんね。

最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました