ものまねをする芸能人は数多くいますが、そのジャンルも実に幅広くあります。その中で歌に関してのものまねでダントツなのが今回紹介する荒牧陽子さんではないでしょうか。歌唱力抜群でまたそれぞれの歌手に合わせて同じ声質で歌うことが出来る唯一のものまね芸人と行っても過言ではないと思います、今回はそんな荒牧陽子さんとものまねについて調査して見ました。
荒牧陽子とものまねの世界
違うのは顔だけ!
こんにちは、今回はものまね界の女王・荒牧陽子さんを取り上げます。
ものまね芸人は数多くありますが、荒牧陽子さんのものまねはまるで本人を鏡に写したようなものまねが大うけで「違うのは顔だけ!」なのです。
2011年のバラエティー番組「スター・ドラフト会議」への出演でいきなりブレイクしてしまったのです。
昔、「スター誕生」という番組がありましたが、あの番組は主に新人歌手を発掘するのが目的の番組でしたが、「スター・ドラフト会議」は芸能なら何でもありの番組でした。
この番組に出演して一躍脚光を浴びたのが「荒牧陽子」さんでした。
そしてこれまでに誰も挑戦したことのない、本物のCD音源と交互に歌う聞き比べメドレーなどにもチャレンジしているのです、しかも22曲もです。
小さい頃から音感が抜群でわずか2歳の時には音符に合わせてきちんと歌えていたのです。
3歳になるとなんと30曲ものレパートリーを持っていたといいます。
小さい子供は当然のようにその人物に丸写しのような振りで歌いますよね。
荒牧陽子さんもそんな子で歌うことが大好きだったのです。
もちろん人前で歌うことも大好きで小学校に入ると地元の歌謡大会や、コンテストなどがあればことごとく出場して優勝回数や入賞も数知れずでした。
そんな訳で荒牧陽子さんは地元では有名な「コンテスト荒らし」だったのです。
高校生になった荒牧陽子さんは1997年5月に「NHKのど自慢」に出演してなんとチャンピオンになってしまい会場は大盛り上がりだったのです。
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荒牧陽子と昭和歌謡
荒牧陽子さんは2011年のものまね大会番組で披露したとたんにその素晴らしい歌唱力と圧倒的表現力によりあっという間に「凄いヤツがいるぞ!」とその存在がものまね界に広がって行きました。
ものまねが上手いということは歌自体も大変上手いということなのです。
荒牧陽子さんはものまねが得意なのは知れ渡っていますが、それは荒牧陽子さん自身の歌とは全く別物なのです。
ものまねが上手すぎて荒牧陽子さん自身の声を聞いたことがない、という人が増えて来ました。
そこでこれはちょっとまずいんでないかな、と思った荒牧陽子さんはシンガーとしての荒牧陽子も知ってもらいたい、と2019年に新作カバーアルバム「リスペクト!私が昭和を歌ったらこんな感じ!」というアルバムを出したことがありました。
1981年生れの荒牧陽子さんにとって昭和生れであっても本当の昭和時代というものは多分知らないことばかりでしょう。
なぜなら荒牧陽子さんが7~8歳のころには平成と年号が変わっているからです。
なのになぜ昭和の歌ばかりを選んでカバー曲を出したのでしょうか。
それは荒牧陽子さん曰く、「昭和の歌を歌うと気持ちがいい」からなんだそうです。
昭和生れの方にとってはなんとも嬉しい言葉ですね。
やはり昭和という時代は歌謡曲にとって黄金期であったことは否めません。
もちろんこのアルバムはものまねを目的としたものではなく、荒牧陽子さん本人の歌声で出しているのです。
すでにこのアルバムを手に入れられた方もいらっしゃると思います。
荒牧陽子さん曰く、このアルバムを作るにあたり、昭和の歌謡曲を役100曲くらい歌ってみたそうです。
それはアイドルものから男性が歌う歌謡曲など実に馬場広く歌ってみたそうです。
そしてその中から自分の声の質や歌い方にしっくりくるものを選んで作ったということでした。
どんな感じなんでしょうね、僕もぜひ一度聞いてみたいです。
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荒牧陽子略歴
荒牧陽子さんは岡山県岡山市出身で、小さい頃から歌が大好きで特に音感というものが異常に発達していたそうです。
親が教えた訳でもないのに、テレビを見て勝手にいろんな歌を覚えてしまいます。
とくにアニメソングが大好きでその歌の上手さ、特に正確に歌うことに親も驚いていたのでした。
そんな荒牧陽子さんは岡山市内にある私立の共学校を卒業後、20歳になったときに上京してシンガーソングライターとして活動を開始したのです。
もちろん最初からものまねを目指した訳ではなく、あくまでも自身の歌をうたい続けていたのです。
その間も数々のオーディションを受け続けていました。
しかし、なかなか合格まで至りません。
やむなくスタジオミュージシャンやコーラス、カラオケのガイドボーカルなどをやりながら生活をしていた時期があったのです。
この間にありとあらゆるジャンルの曲を歌いまくっていたのです。
特に2004年頃からはじめたカラオケのガイドボーカルでは本物に大変似ているとネットや口コミでその評判が広がって行きました。
そのため、荒牧陽子さんの歌うジャンルの幅が益々広がりを見せ、なんとその数は1,000曲を超えるまでにいありました。
そして自身のオリジナルヒット曲というものが無い代わりにシンガーミュージシャンとしての名声は広がる一方で各方面より非常に高い評価を受けるに至ったのです。
余談ですが演歌の世界では島津亜矢さんがこれに相当するのではないでしょうか。
カラオケガイドボーカルとしての名声が上がるに連れ、テレビ出演が段々増えて来たのです。
こうしてものまねシンガーとしてのブレイクが加速します。
それを一気に加速させたのが2011年7月に放映されたバラエティー番組の「スター☆ドラフト会議」でした。
この番組により本格的にものまねデビューを果たしたのです。
この圧倒的歌唱力とその美貌も相まって一気にブレイク、なんと500社以上からオファーがかかったのです。
もちろん大手芸能事務所も彼女を放っておく訳がありません。
争奪戦を繰広げた後に彼女が選んだのはケイダッシュ系列のピーチ所属が決定したのでした。
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荒牧陽子ものまねのまとめ
荒牧陽子さんがものまねシンガーとしてブレイクした後は、まさにその進撃が留まることがありませんでした。
過去にこれほどもてはやされたものまね芸人はいたでしょうか。
おそらく荒牧陽子さん只一人でしょう。
荒牧陽子さんが歌う音域はなんと4オクターブもあるのです。
そのためどのような歌でも歌いこなすことの出来るものまね芸人としてもてはやされるようになって行きました。
それはもう、すべての音楽ジャンルを歌いこなすと言っても過言ではありません。
ものまねで歌いこなすハイレベルで抜群の歌唱力を持った荒牧陽子さんは他のものまね芸人の追随を許すものではありません。
そして荒牧陽子さんがものまねを行う時にはそれを歌う本人へのリスペクトを忘れません。
最大限の尊厳を持って歌うのです。
そのためその歌を歌う本人たちからも称賛の嵐を受けているのです。
もし、荒牧陽子さんがシンガーソングライターとして最初からヒット曲を連発していたとしたら今の荒牧陽子さんは誕生していなかったでしょう。
その抜群の歌唱力、そしてその謙虚さ、どれを取ってもものまね界の女王と呼ぶにふさわしい荒牧陽子さん。
僕は荒牧陽子さんに「違うのは顔だけで賞」を捧げたいと思います。
荒牧陽子さん、これからも日本ものまね界の星として輝き続けることは間違い無いでしょう。
最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。
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