杉良太郎の妻伍代夏子には息子という隠し子がいた、その噂の真相を探ってみた

タレント

伍代夏子さんは芸能人篤志家として国の内外で社会貢献をされている杉良太郎さんと結婚され早25年、今お二人は芸能界におけるオシドリ夫婦としてつとに有名ですが過去において「伍代夏子には隠し子がいるのではないか」という噂が流れたことがありました。今回は伍代夏子さんのそんな噂の真相を深掘りして見たいと思います、最後までお読み頂きその真相を共有されることを願って止みません。

伍代夏子息子の序章

伍代夏子(ごだいなつこ)さん(本名:山田輝美〈やまだてるみ〉)の職業は日本を代表する演歌歌手です。

1961年(昭和36年)12月18日生れの63歳で、出身地は東京都渋谷区代々木生れです。

代々木八幡の井の頭通り水道道路商店街にあった魚屋さんの「市六水産」の次女として誕生しました。

伍代夏子さんは小さい頃から歌うことが大好きで、将来は歌手になることを夢見る少女だったのです。

学歴は渋谷区立富谷小学校、渋谷区立上原中学校を卒業し、高校鷗友(おうゆう)学園女子高等学校卒業です。

伍代夏子が芸能界に入るきっかけとなったのが、この高校生時代に渋谷においてモデル事務所にスカウトされた事が伍代夏子さんのその後の運命を決めることになったのです。

伍代夏子さんはその後歌手としてデビューしましたが、当初はさっぱり売れませんでした。

最初1982年7月7日に芸名を「星ひろみ」としてデビューしましたが売れ行きは全然芳しく有りません。

そこで1985年4月21日に「加川有希(かがわゆき)」として再デビューをしましたが、これも売れ行きがさっぱりでした。

そこで今度は1986年7月21日に本名の「中川輝美(旧姓:なかがわてるみ)」に戻して再々デビューを重ねます。

しかしこれもダメで今度は「伍代夏子」として再々々デビューを果たしたのです。

ここでようやく運命の神様が伍代夏子さんに微笑んだのでした。

余談ですが芸名を何度も変更して最後には大物歌手へと成長して行ったあたりは「五木ひろし」さんのパターンに似ていますね(^_^)

 

伍代夏子息子:伍代夏子の快進撃

1987年9月、この時に出した曲「戻り川」が大ヒットしたのです。

この曲により、第21回日本有線大賞「最優秀新人賞」第21回全国日本有線放送大賞「最優秀新人賞」を受賞これが演歌の部門において両賞を同時受賞した初の快挙となったのでした。

その後、伍代夏子さんはまるで水を得た魚のように演歌界においての快進撃がはじまるのです。

1990年に出た「忍ぶ雨」がこれもまた大々ヒット曲となりました。

そしてその年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たし、その後は通算22回の出場という大記録を打ち立てたのです。

これにより伍代夏子さんは日本演歌界において押しも押されもしない実力派大物演歌歌手の地位が盤石のものになって行ったのでした。

こうして演歌界の大御所としてまっしぐらに進んでいた伍代夏子さんでしたが、その後ちょっとしたアクシデントに見舞われます。

それは1994年初頭における健康診断でC型肝炎のキャリアであることが判明したのです。

しかしこれは早期発見であったため発症には至らず今では完治しています、したがって世間には公表しませんでした。

これは当然の措置だと思いますね。

同年には新宿コマ劇場で初座長公演「伍代夏子・歌手生活10週年記念特別公演」を挙行するなど歌手活動は順調に推移して行きました。

そしてまた、1999年に2時間ドラマにおいて伍代夏子初の女優デビューも果たしているのです。

 

伍代夏子息子:伍代夏子に隠し子がいる?!

 

 

1999年になると伍代夏子さんは当時人気絶頂の俳優「杉良太郎」(本名山田勝啓〈やまだかつひろ〉)さんとの結婚を果たします。

杉良太郎さんはそれまで26年間に渡り連れ添った前妻(山田信子さん)と1998年に離婚をしていました。

杉良太郎さんには前妻との間に男・女・女の3人のお子さんがいらっしゃいます。

なお、杉良太郎さんの長男は俳優の「山田純大(やまだじゅんだい)」さんで、テレビドラマの「水戸黄門」や「半沢直樹」などに出演され人気を博しています。

山田純大さんはお父さんの杉良太郎さんに勝るとも劣らないイケメン俳優なのです。

伍代夏子さんが杉良太郎さんとのなれそめは伍代夏子さんが杉良太郎さんの舞台を見に行ったのがきっかけでした。

伍代夏子さんの振付師さんから「杉さんの舞台は勉強になるので一度見ておいた方が良いですよ」と言われたことで伍代夏子さんはマネージャーと一緒に見にいったのでした。

そして舞台を見終わった後で伍代夏子さんがマネージャーさんと一緒に杉良太郎さんの楽屋に挨拶に行ったことがきっかけとなったのです。

その帰りがけに今度は杉良太郎さんのマネージャーが飛んできて「伍代夏子さんすみません、杉があなたの感想を聞きたいと言っています」と言われたそうです。

杉良太郎さんはこの時きっと伍代夏子さんに一目惚れをしたのでしょうね(^_^)

伍代夏子さんは杉良太郎さんと交際するようになってから、「杉良太郎さんを幸せに出来るのは私しかいない」と思うようになって行ったそうです。

伍代夏子さんと杉良太郎さんの歳の差は17歳もあり、当時は週刊誌を賑わしたものでした。

この時期に伍代夏子さんには隠し子がいるのではないかとの噂も出ましたが、それは全くのデタラメでどうやら杉良太郎さんの子供たちとごっちゃになったようですね。

当時、杉良太郎さんには前妻との間に3人のお子さんがいらっしゃいましたが、伍代夏子さんは杉良太郎さんとの結婚が初婚で隠し子などいるわけがありませんでした。

そしてまた、杉良太郎さんとの間にも子供さんは誕生していません。

 

伍代夏子息子のまとめ

東京の下町の魚屋さんの次女としてうまれた伍代夏子さんはチャキチャキの江戸っ子でした。

小さい時から歌うことが大好きな女の子だったのです。

しかしながら、歌手としてデビューした後の伍代夏子さんはとても順風満帆とは行きませんでした。

最初の仕事はほとんどスナック回りの仕事が主で酔っ払い客に絡まれることも多く次第に人前で歌うことに苦痛を感じるようになっていきました。

伍代夏子さんはこの下積み時代の生活があったことで当時の一流歌手達も人知れず努力を重ねて名前が売れて行ったことを身を持って知ることになったのです。

何度も芸名を変更してレコード会社も移籍した伍代夏子さんにもついにヒット曲が誕生しました。

1987年25歳の時に芸名を「伍代夏子」に変更し最初に出した曲「戻り川」はなんと35万枚ものヒット曲となったのでした。

そして1990年には「忍ぶ雨」がこれまた大ヒットし、ついに念願のNHK紅白歌合戦に初出場を果たします。

NHK紅白歌合戦はプロの歌手なら誰もが憧れる大舞台です。

その後もなんと12回もの紅白歌合戦出場を果たし日本演歌界の大物歌手へと登り詰めたのです。

そして38歳で当時人気絶頂の俳優杉良太郎さん(55歳)との結婚へと至りました。

この時に伍代夏子さんは初婚であるにも関わらず、伍代夏子には隠し子がいるのではないかという噂が流れたことがありましたが、これは全くのデタラメであることがわかりました。

いまではお二人は歳の差を乗り越え芸能界を代表するオシドリ夫婦として有名です。

また伍代夏子さんは厚生労働省の肝炎対策特別大使や外務大臣表彰の受賞、杉良太郎さんは国内外において数々の勲章を授与されるなどお二人の篤志家としての活動にも目を見張るものがあるのです。

このようにお二人は芸能活動だけに留まらず社会貢献にも多大な貢献をしていらっしゃいます。

すでに老齢と言われる年齢になったお二人ですがこれからの活躍にもますます目が離せなくなりました。

いつまでもお元気でこれからも大活躍をされることを祈らずにはおれませんね。

最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。

 

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