小芝風花さんは現在の日本芸能界において人気が急上昇している女優です。各方面から引っ張りだことなっていて超多忙を極めています。そんな小芝風花さんは幼少期に両親が離婚しており、父親は現在中国の上海で日本料理店の事業を展開して大成功を収めているのです、今回はそんな小芝風花さんの父親に焦点をあてて調査してみることにしました、この記事を読むことによって小芝風花さんの父親の今と、娘達に対する思いが理解できる内容になっています。
小芝風花父親の序章
小芝風花(こしばふうか)1997年(平成9年)4月16日26歳は日本の女優で今人気急上昇している芸能人です。
小芝風花というのは本名で出身は大阪府堺市です。
小学校3年生から中学校23年生までフィギュアスケートに打ち込んでおり、冬期オリンピックを目指していました。
バッジテストも7級を取得しており、憧れの選手は鈴木明子さんでした、そして当時はスケート以外の道はないと考えていました。
ところが2011年に「イオン×オスカープロモーションガールズオーディション2011」でグランプリを受賞したのです。
そこで芸能活動とスケートの両立は難しいと考え、選手の方は断念し、芸能活動にシフトすることになったのです。
そして2012年フジテレビのドラマ「息も出来ない夏」で女優デビューを果たしました。
2014年には初の主演映画「魔女の宅急便」でスクリーンデビューを果たしました。
また同作品で「第57回ブルーリボン賞・新人賞、および「第24回日本映画批評家大賞・新人賞」を受賞し、2014年には舞台デビューも果たしています。
2016年にはNHKの連続テレビ小説「あさが来た」に出演しその後も声優デビューするなど芸能界で快進撃を続けています。
今回はそんな小芝風花さんの父親とはどんな人なのかまた小芝風花さんの家族にも焦点を当てて調査してみたいと思います。
小芝風花の父親と離婚
この小芝風花さんの両親は小芝風花さんが小学生の時に離婚されています。
ですから小芝風花さんは親子4人の母子家庭で育ったことになります。
離婚の原因は父親にあったと言われていますが、詳しい経緯はわかりませんでした。
離婚の原因として考えられるのはどちらかの浮気、もし浮気が原因なら離婚の原因は父親にあったといわれていますから、父親の浮気が原因かもしれません。
その他の原因としてはギャンブルや借金などがあります。
小芝風花さんは小学生の時からフィギュアスケートをやっていたということですから、もしギャンブルや借金などをしていたならば、フィギュアスケートを続ける余裕はなかったと思われます。
小芝風花さんは小学校の時からオリンピックに出場することを目標においていましたから、おそらくフィギュアスケートも本格的に練習していたことと思います。
実は、このフィギュアスケートの練習には非常にお金がかかるのです。
本格的に打ち込んだ場合にはリンクの使用料やコーチに支払う料金など諸々を含めると月に10万円から15万円くらいの費用がかかるそうです。
ですからもし両親のどちらかでもギャンブルや借金にのめり込んでいたならとてもフィギュアスケートなどできるものではありません。
後日、小芝風花さんはダウンタウンのバラエティ番組「ダウンタウンなう」に出演した時に語っていたのは「家族には男運がない」と言っていました。
娘の小芝風花さんがそう語っているのですからやはり離婚の原因は父親にありそうですね。
このような小芝風花さんの発言を見ているとどうやら小芝風花さんにとって父親のイメージはあまり良いものではなかったようですね。
小芝風花さんのSNSなどを見ていても母親との仲が良いことはよく出てきますが、父親との話題は全くといっていいほど出ていません。
小芝風花父親の中国での暮らし
ですから私が思うには父親の浮気説が濃厚だと思います。
これはあくまでも私の独断と偏見からの推察ですから真実ではないことをお断りしておきます。
この小芝風花さんの父親は行動力、経営者としての能力などが備わった優秀な方であると思われます。
父親は離婚後に中国に渡り、現在は上海で日本料理店を経営しており、お店は非常に繁盛しているということです。
お店の場所は上海市復旦大学の裏側にあるそうで大学生達にも人気のお店として繁盛しているそうです。
日本料理は中国でも非常に人気があり、小芝風花さんの父親の経営する日本料理店は大学生や地元の人にも常連客の多い店になっているようです。
また日本からの留学生もこのお店が日本で活躍している女優の小芝風花さんの父親が経営しているということがSNSなどで伝わっており日本人留学生の間でも人気のお店にとなっているようですね。
小芝風花さんの両親は離婚はされていても父親にとって小芝風花さんは自慢の娘であることに変わりはありません。
店内には日本で活躍する小芝風花さんと一緒に写った家族の写真や映画のポスターなどが沢山貼ってあり、父親にとっては今でも自慢の可愛い娘であることに変わりはありませんね。
店内に貼ってある家族写真を見ると父親の目もパッチリとした大きな目で小芝風花さんの目も大きいことから父親譲りの目かも知れませんね。
小芝風花父親の娘への思い
この父親は以前週刊誌の記者からのインタビューに答えて「役者って凄いですね、全然違う風花をみているようです・・・」と感慨無量に答えていました。
一緒に暮らしていた頃には「バレエに器械体操、色んな習い事をさせたね、でも最終的に選んだのはフィギュアスケートだった・・・」と語り、一緒に暮らしていた頃を懐かしく振り返っていました。
小芝風花さんがスケートを辞めて芸能界入りをしたことは父親には相談せず、母親と決めたみたいだと父親は語っていました。
小芝風花さんの父親は日本にいた頃からずっと自営業をやっていたようですね、上海で商売を始めたのは小芝風花さんが上京してからだそうです。
両親の離婚が小芝風花さんの幼少期だとすると離婚後しばらくは父親も日本で暮らしていたようですね。
上海にいても小芝風花さんの活躍ぶりは日本からの情報で全部見ているということです。
日本で放送されたドラマやバラエティ番組は中国では海賊版ですぐにみられるそうです。
その番組などを見ていると娘の成長ぶりがよく見られ段々大人になって行く娘が別人のように見えることがあるそうです。
父親が語っていましたが、「娘はずっとスケートをやっていくと思っていたがともあれ、あれだけ厳しいスケートの練習をこなして来た娘だから今後何をやっても出来ると思います」とのことです。
父親は小芝風花さんの将来に絶大な信頼を置いているようです。
小芝風花父親:小芝風花と今の家族
ここで小芝風花さんの現在の家族について簡単に紹介しておきましょう。
小芝風花さんの両親が離婚してからは母子家庭となり母親と姉妹の4人暮らしとなりました。
小芝風花さんは3人姉妹の次女として育ってきました。
家族思いの小芝風花さんは今では妹の学費を援助したり、母親にもプレゼントをするなど家族思いの優しい娘でもあります。
母親は小芝風花さんの一番の理解者でもあるのです、母親はかなり厳しい人でそのためか小芝風花さんには反抗期というものがなかったそうです。
フィギュアスケートをやっていた時は試合に使う衣装などはすべて母親の手作りだったそうです。
小芝風花さんには母親から教えられた3つの言葉があります、それは次の3つです。
- 夢に向かって努力すること
- 夢をあきらめないこと
- 成功した自分を想像すること
の3つです。
わかりやすく、覚えやすく、それでいて心にしみる言葉ですね。
小芝風花さんはこの3つを心に刻み込んで苦しいときや辛いときに母親のこの言葉を思い出し頑張って来たそうです。
小芝風花さんのお姉さんはすでに結婚されていて娘さんが1人いるそうです。
この娘さんと小芝風花さんはあまり歳が離れていなくて妹のような存在で小芝風花さんとはとても仲良しだそうです。
そのことを考えるとお姉さんは比較的早くに結婚されたのかも知れませんね、このお姉さんは読者モデルもやっていたことがあるそうです。
小芝風花さんの妹さんは5歳年下だそうでこの2人も大の仲良しだそうです、妹さんもお姉さんも一般人なので最近の画像などの詳しい情報が公開されていないのがちょっと残念ですね。
小芝風花父親のまとめ
小芝風花さんは今、日本の芸能界で獅子奮迅の大活躍を続けている最もトレンディな女優です。
そんな小芝風花さんの両親は小芝風花さんが小学生の頃に離婚しています。
今回はそんな小芝風花さんの父親について調査してみました。
小芝風花さんの父親は離婚後数年して中国の上海に渡り、そこで日本料理店を始められて、今では地元の人達に喜ばれる人気店にまで発展させています。
日本ではなく中国に行ってまでお店を開くというのは大変行動力のある父親ですね。
そんな小芝風花さんの父親は自身の店内には日本で活躍する小芝風花さんの写真やポスターを沢山貼って自慢の娘をお客さんにアピールしているそうです。
中国で暮らしていても小芝風花さんの活躍ぶりはすぐに中国まで伝わって来るそうです。
離婚したとはいえ、小芝風花さんとの親子の縁は切れるものではありません、親子関係は永遠ですから。
遠く中国の空の下で母国の日本にいて活躍を続ける我が娘への思いは募る一方でしょう。
小芝風花さんだけでなくこの父親には3人の娘さんがいるのです。
日本に残した娘達への思いはいつまでも消えるものではありません、いつの日か日本に帰って仲良く父娘が再開出来る日がくると良いですね。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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