大阪府堺市出身で人気急上昇中の女優小芝風花さん、そんな彼女は現在芸能界においてドラマや映画、CM、バラエティ番組にと留まることを知らず各方面から引っ張りだこの大活躍をしています、今回はそんな小芝風花さんにスポットを当てて小芝風花さんの実家があった堺市や彼女が育った環境、現在の状況などについて詳しく調査報告をしてみたいと思います。
小芝風花の実家とは
小芝風花(こしばふうか)さんは1997年(平成9年)4月16日(26歳)生れで職業は女優、モデルなどで現在芸能界で大活躍をしています、出身は大阪府堺市堺区生まれです。
この小芝風花さんは小学校3年生のときから中学校2年生の時までフィギュアスケートをやっていました。
当時小芝風花さんは冬期オリンピックに出場するために全力を尽くしていたのです。
目標としていた先輩選手が鈴木明子さんでした。
この鈴木明子さんは2010年のバンクーバー冬期オリンピックと2014年のソチ冬期オリンピックに2大会連続出場を果たすなどした有名フィギュアスケート選手でした。
しかし2011年「イオン×オスカープロモーションガールズオーディション2011」でグランプリを受賞して芸能界入りを果たしたのです。
そうなると芸能活動とフィギュアスケートの両立が難しいと判断、そこでフィギュアスケートの方を断念することになったのでした。
そして2012年にフジテレビのドラマ「息もできない夏」で女優としてのデビューを果たしました。
この小芝風花さんの実家が大阪府堺市堺区にありました。
今回はこんな小芝風花さんの出身地である堺市と小芝風花さんの実家や小芝風花さんの幼少期から現在までを徹底的に掘り下げて紹介して行きたいと思います。
小芝風花の実家
そこで小芝風花さんの生まれた大阪府堺市を簡単に紹介しておきます。
堺市は泉北地域にある政令指定都市で大阪市に次いで人口の多い街として有名となっています。
そして世界一の墳墓といわれる仁徳御陵などがありその隣にある「大仙公園」は日本の歴史公園100選にも選ばれている有名な公園です。
ものの始まりみな堺といわれるほど歴史ある街として全国的に有名な都市です。
また堺市は包丁の街としてもつとに有名で包丁造りに関しては600年の歴史があり、いまや「堺刃物」として世界的にも有名となっています。
そんな街で生まれ育った小芝風花さんの出生地である堺市堺区とはどんな場所なのかを紹介しておきます。
堺区は市の中心地であり、図書館や公共施設、博物館、などの文化施設などが区内にまとまっており、教育面でのメリットも多いのが魅力的となっています。
そして昔ながらの商店街や歴史遺産など多く点在しています。
なお世界一の墳墓である仁徳天皇陵のある「百舌鳥・古市古墳群」をユネスコは2019年に世界遺産として登録しています。
小芝風花の育った実家
そんな街で育った小芝風花さんはいったいどのような幼少期をすごして来たのでしょうか。
小芝風花さんの両親は小芝風花さんの幼少期に離婚されており、幼少期には母親と姉(年齢不詳)5歳年下の妹の4人で暮らしてきました。
離婚の原因については小芝風花さんはあまり多くを語っていませんが、あるテレビ番組で小芝風花さんは「家族は全員男運がない」と語ったことがありました。
この言葉には両親の離婚が関係しているのかも知れませんが、離婚の詳しい理由は明らかにされませんでした、ただ言葉から推察すれば離婚の原因は父親にあったかもしれませんね。
この小芝風花さんのお父さんは現在中国の上海でラーメン店を経営して成功なさっているようです。
そして小芝風花さんが日本で女優として大成功していることを知っており、店の中には小芝風花さんの写真がたくさん貼られていてお父さんにとっても自慢の娘であることには変わりがないようですね。
両親の離婚後は親子4人の母子家庭でしたが家族はみんな仲良しで団結が固く、家族関係は非常に良好だそうです。
そんな小芝風花さんは「母の日」に手作りのプレゼントをしてとても喜んでもらったと後にブログで紹介しています。
またお母さんからのもらった言葉が女優業を続ける上で非常に励みになっていることも紹介されました。
そんなお母さんが小芝風花さんにくれた「3つの言葉」を紹介します。
- 夢に向かって努力すること、
- 夢をあきらめない事
- 成功した自分を想像すること
この3つの言葉が小芝風花さんの大いなる励みの言葉になっているそうです。
子供の成長を願う母親の切実な思いが込められたよい言葉ですね。
私も母親からこんな言葉をかけられたらもっともっと頑張って人生を送って来たのではないかと、思わず思ってしまいました。
小芝風花実家から芸能界へ
この小芝風花さんが小学校3年生の時にお母さんが友達から「風花ちゃんはスケートに向いているんじゃない?」と言われ、始めてみるとその楽しさにのめり込んでしまい当時やっていた器械体操を止めてフィギュアスケートに完全に舵を切っていたのでした。
中学生になってからは色々な大会で入賞や優勝を果たしでフィギュアスケートの新人発掘合宿「野辺山合宿」に3度の参加するほどの実力をもっていたのです。
そして練習のやり過ぎから筋肉の成長に骨がついて行けない病気を発症し、2度の手術を乗り越えて競技活動を続けていましたが、あるときテレビで浅田真央さんのCMを見たことがきっかけで「私もこんなCMに出たい!」と決心したのです。
そして2011年に開催された「イオン×オスカープロモーションガールズオーディション2011」に出場し参加者約35,000人の中から、見事にグランプリを受賞して芸能界入りを果たしました。
このオーディションに応募してくれたのが小芝風花さんのお姉さんでした。
小芝風花さんがCMに出たいと言ったのを聞いたお姉さんがこのオーディションに応募してくれたのです。
お姉さんが小芝風花さんの芸能界デビューのきっかけを作ってくれたと言っても過言ではないですね。
このお姉さんの姪っ子とも小芝風花さんは大の仲良しだそうです、あまり年齢が離れていなくてまるで妹のような存在だということです。
小芝風花の実家と学歴
そんな小芝風花さんの出身小学校は堺市立浅香山小学校で中学校は堺市立浅香山中学校(JR阪和線堺市駅より徒歩10分)となっています。
その後、芸能活動を優先させるため日出中学校に転入し、この日出中学校に入学したのを機会に堺市から東京へと家族ぐるみで引っ越しをしたのでした。
その後小芝風花さんは「魔女の宅急便」の主役やその他のテレビドラマへの出演や舞台等で非常に忙しくなり、全日制の高校ではなく通信制へと変更したのです。
そのため高校への通学は月に2~3回で済むようになり、無事高校を卒業しました。
この高校は芸能コースがあり、卒業性には多くの有名女優、モデル、歌手などが名前をつらねていて、芸能活動に理解のある学校として有名です。
小芝風花さんはまたダンスが非常に上手で自身が出演した映画「ガールズ・ステップ」で素晴らしいダンスを披露していますが、この役を演じるためにダンスの猛練習をしたそうです。
このダンスの評判が凄くて、高校の時にダンス部に所属していたのでは、との噂が広がったほどでした。
小芝風花実家のまとめ
今回は大阪府堺市出身の小芝風花さんについて彼女が育った街や幼少期の出来事など出来る限りの紹介をしてきました。
小さい時から器械体操やフィギュアスケートで体を鍛え均整のとれた抜群のスタイルを誇る小芝風花さん。
そんな彼女は35,000人の中からオーディションに合格するという快挙を成し遂げ芸能界にデビューしたのです。
これは並大抵なことでは出来ませんよね、その中から選ばれた小芝風花さん、芸能界で輝く星になる素質が小さい時から秘められていたんでしょうね。
両親が離婚したとはいえ、小さい時から家族愛に溢れた中でスクスクと育ってきた小芝風花さん。
これからもお母さんからもらった言葉を大切にして、自分の夢を目指して大きく羽ばたき芸能界で輝く星となって欲しい将来が楽しみな存在の女優さんです。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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