綾瀬はるかさんは今では芸能界におけるトップスターの地位を盤石のものにしていますが、そんな綾瀬はるかさんの活躍を大きく支えていたのが家族の絆でした、特にお兄さんとの絆の深さについては綾瀬はるか自身も語っているところです、今回はそんなお兄さんと綾瀬はるかさんの関係について出来るだけ詳しく調査報告して見たいと思います、ぜひ最後までお読みくださいね。
綾瀬はるか兄:綾瀬はるかの略歴
綾瀬はるかさんは1985年(昭和60年)3月24日生れの39歳で、広島県広島市安佐南区出身です。
綾瀬はるかさんが芸能界入りのきっかけを作ったのが、2000年に「第25回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で審査員特別賞を受賞しからでした。
この賞を受賞した時の名前は「蓼丸綾(たでまるあや:本名)」という名前でした。
余談ですが、この「蓼丸」というのは日本でも超希少ネームだそうですよ、おそらくスンナリと読み書き出来る人は少ないんではないでしょうか(^_^)
その後のレッスン期間を経て、2001年に日本テレビ系ドラマの「金田一少年の事件簿」で女優デビューをはたします。
その後はドラマのレギュラー出演、ドラマの主演、と毎年のように順調に仕事の幅を広げて行きます。
2006年3月24日には小林武史さんプロデュースによるシングル「ピリオド」で歌手デビューを果たし、オリコンチャート初登場で8位を記録するという、歌手としもその洗練された実力を見せつけたのでした。
2013年にはNHKの大河ドラマ「八重の桜」にて初出演、初主役という重積を果たします。
そしてその年の年末には「第64回NHK紅白歌合戦」に司会者として出場、2015年には再び「第66回NHK紅白歌合戦」に2年ぶりに2回目の司会を勤めました。
2019年の年末に今度は3回目の紅組司会者を務めました。
2023年には「第48回報知映画賞主演女優賞」を受賞。
こうして綾瀬はるかさんはその知名度、実力共に芸能界でのトップクラスに登り詰めて行ったのです。
綾瀬はるか兄:綾瀬はるかの家族構成
綾瀬はるかさんの家族構成は、両親と兄が1人の4人家族でした。
ただし、お父さんは2019年に病没していて、現在は3人家族ということになります。
お母さんは現在、綾瀬はるかさんの個人事務所(株式会社tapestry〈タペストリー〉)の代表取締役をやっていますが、画像などは公表されていません。
しかし、綾瀬はるかを見てもわかるように、きっとお母さんも美人に違いないでしょうね。
ここでは綾瀬はるかさんの実家の様子やお兄さんのことを少し詳しく紹介して行きましょう。
綾瀬はるかさんの実家は広島県安佐南区川内で農業を営んでいます。
これは綾瀬はるか自身が語ったことによるものですから間違いありません。
綾瀬はるかさんの実家はおじいさんの代から農業をやっていました、主に広島菜(ひろしまな)という野菜を作っていたそうですね。
(注:広島菜とは広島県産のアブラナ科に属する野菜で白菜の一種です、広島地方ではよく栽培される野菜でほとんどが漬物として使用されます。高菜や野沢菜と共に日本の3大漬物菜として有名です。)
綾瀬はるかさんのお父さんはサラリーマンでした、キッチンのデザインをする仕事に就いていました。
40歳を過ぎたころに実家の跡を継ぐためにサラリーマンを辞めて、おじいさんの農業を継ぐことになりました。
跡を継いだ農地は30アール(970坪)の広さがありました、結構広い畑ですね。
ただ、お父さんは2019年に病で亡くなってしまいました。
そこで今度はお兄さんの蓼丸良孝(たでまるよしたか)さんが跡を継いで農業を引き継ぎました。
綾瀬はるかの兄の経歴
綾瀬はるかさんのお兄さんは大学に進学する時は妹の綾瀬はるかさんが寂しくならないようにと、東京の大学を選んで入学したそうです。
なお、大学名などの詳しい情報は公開されていません。
東京ではお兄さんは綾瀬はるかさんと同居して何くれとなく綾瀬はるかさんをサポートしながら学生生活を送ったそうです。
お兄さんは元々農業を継ぐ意志を持っていたようで、お父さんが亡くなったあとは跡を継いで農業を引き継いだようですね。
お兄さんも広島菜をメインに栽培しているそうです。
お兄さんは大学では電子工学を学んでおり、その時に学んだことが今の農業にも役立てているそうです。
学生時代に学んだ事とは全く違う職業に就いてしまうことはよくあることですが、お兄さんは電気系統の学部でありながら、農業にもその学びを生かしているのは素晴らしいことですね。
お兄さんは何事にも真面目に取り組む人で物事をポジティブに捉えて仕事をする人のようです。
そんなお兄さんは2014年に結婚されて、今では2人の娘さんに恵まれて家族仲良く暮らしているそうです。
お兄さんは農業をやりながら、家事や育児などにも積極的に協力してやってくれる良きパパで夫婦仲も非常に良いそうです、羨ましい限りですね。
お兄さんは農業にも実に真剣に取り組んでいて、お兄さんが育てる「広島菜」の品質の高さには定評があるのです。
安佐南区では毎年野菜の品評会を行っていますが、2020年に行われた「安佐南区農産物品評会広島菜部門」において一等賞を受賞するほどの実力の持ち主なのです。
そんなお兄さんは広島菜を育てることにいつも誇りを感じており、地域農業の振興にも大いに関わっているのです。
地元の農業団やコミュニティとも協力して農業技術の向上、広島菜を含むあらゆる農産物の販路拡大に日々努力を怠ることがありません。
またお兄さんは有機栽培にも積極的に取り組み、有機肥料の利用や農薬の使用を最小限に抑えるなど、環境に配慮した身体に優しい野菜作りの研究にも取り組んでいるのです。
綾瀬はるかとお兄さんの絆
綾瀬はるかさんのお兄さんのこうした取り組みは地域社会に大きく貢献して多くの人達に喜ばれているのです。
そんなお兄さんを綾瀬はるかさんは、「お兄ちゃんの野菜作りにかける情熱は本当に素晴らしいものがあります」
「広島菜の美味しさを多くの人に知ってもらいたいという情熱にいつも感心しています、だから私もそんなおにいちゃんには出来るだけ協力したいと思っています」と語っているのです。
そして、お兄さんは綾瀬はるかさんのことを「明るく元気で素直な子です」と称賛しており、2人の兄妹の絆の深さを垣間見ることが出来ます。
以前放送された「はなまるマーケット」では綾瀬はるかさんがお兄さんとの関係について語ったことがありました。
綾瀬はるかさんは芸能活動に専念するため17歳の時にはすでに東京に住んでいてお兄さんも大学に通うため2人は同じアパートに一緒に住んでいたのです。
その時、家事は綾瀬はるかさんがほとんど担当していましたが、お兄さんも手が空いているときは出来るだけ家事を手伝うことがあったそうです。
綾瀬はるかさんは大学で電子工学を学ぶお兄さんをいつも尊敬しており、お互い思いやりを持って共同生活をしていたのです。
そしてたまに送られてくる広島菜を使ってお兄さんはヒロシマ焼きを作ってくれたこともあったそうです。
綾瀬はるかさんの家族はみんな仲良く、深い絆で結ばれていたようですね、特に綾瀬はるかとお兄さんもお互いを尊重、尊敬しあう素晴らしい絆で結ばれていたようですね。
綾瀬はるか兄のまとめ
綾瀬はるかさんは近年、人気女優のベスト5に入るほどの人気がありますが、そんな彼女の活躍の影には家族の絆が大きな支えになっていたようですね。
そんな綾瀬はるかさんのお兄さんはお父さん亡き後、家業の農業を継ぎお父さん以上にその家業である農業を発展させ、地域の発展にも大いに貢献しているそうです。
またお兄さんの育てる広島菜の品質の高さには定評があり、地域の人々にも大いに評価されているということです。
お兄さんは広島菜のブランド化を推し進め今では、広島菜は地元の有力産業となり地域の魅力を高め、地域の発展にも大きく役立っているのです。
そんなお兄さんは学生時代には綾瀬はるかさんと一緒に東京で生活をしており、2人はお互い協力しあいながら暮らしていました。
その時に培われたお互いの絆の深さは今でも少しも衰えることはありません。
綾瀬はるかさんの家族の絆はいまでもお互いをサポートし合い、住む場所は違っていてもいつも協力し合うことを惜しみません。
今回は綾瀬はるかさんのお兄さんについて出来るだけ詳しく紹介してきましたが、綾瀬はるかさんはそんな家族の絆に支えられ、これからも芸能界で大きく飛躍、成長して行くことは間違いありません。
最後までお付き合いして頂きまことにありがとうございました。
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