オダギリジョーの妻香椎由宇の人生を振り返ってみると意外な事実が

俳優

 

オダギリジョーさんとその妻の香椎由宇さんは芸能界きってのオシドリ夫婦と言われています。

そして二人はもう熟年夫婦と言われる年代にはいってきました、その妻の香椎由宇さんや夫のオダギリジョーさんが歩んできた人生の道のりを振り返って見たいと思います。

オダギリジョーの妻

 

俳優のオダギリジョーさんは俳優業だけに留まらず、他にもたくさんの肩書きをもっていらっしゃいます。

 

脚本家、ディレクター、語り手、シンガーソングライター、声優、映画俳優など多彩な才能の持ち主です。

 

オダギリジョー、本名は小田切譲といい、岡山県津山市出身です。

 

オダギリジョーと表記されることが多いですね、デビューから『仮面ライダークウガ』が始まる前までは漢字で表記されていたようです。

 

妻は香椎由宇(かしい ゆう)さんです、彼女は映画監督としても活動されています。

 

今回はこのオダギリジョーさんの妻や家族構成について紹介して行きたいと思います。

 

それではオダギリジョーさんの妻である「香椎由宇」のプロフィールから紹介しましょう

 

オダギリジョーの妻香椎由宇

 

  • 出身地:神奈川県綾瀬市(小学校の6年間はシンガポールで過ごす)
  • 生年月日:1987年(昭和62年)2月16日(36歳)
  • 夫:オダギリジョー
  • 血液型:O型
  • 身長:164cm
  • 職業:女優、映画監督
  • 所属事務所:ホリプロ
  • 学歴:目白大学外国語学部英米語学科卒業

オダギリジョー妻:香椎由宇の経歴

 

親の仕事の都合で小学校の6年間はシンガポールで過ごしました。その後帰国して2001年に雑誌『mc Sister』のモデルとしてデビュー。

 

日本リーバ(現:ユニリーバ・ジャパン)のCM出演で一気に評判が高まりました。

 

2003年には話題のドラマ「WATER BOYS」でマドンナ役の花村響子役を演じ、その演技力の高さが大いに評価される。

 

2005年には映画デビューを果たし、同年公開の「リンダ リンダ リンダ」では、第29回山路ふみ子映画賞新人女優賞を受賞するなどして実力派女優として業界から認められるようになったのです。

 

一時子育てなどのために芸能界から少し遠ざかっていたこともありましたが、最近はまた復帰されています。

 

子育て中は仕事もセーブしていたようですが、その間もモデル、CM、雑誌の取材など仕事は行っていたようですね。

 

母親、妻、仕事と多忙な毎日ではありましたがそれらに流されることなく、しっかりと自分の立ち位置を確立していたようです。

 

彼女を見ていると時の経過を感じさせない美しさがあります。

 

美しさを保つ秘訣として、「よく眠る」「物事をマイナスに捉えない事」だそうで、特に睡眠は大事だそうです。

 

由宇さんは、インスタやXなどのSNSはやっていないそうですが、ホリプロが行っているInstagram1では時々掲載されています、ぜひそちらをご覧下さいね。

 

オダギリジョー妻とオダギリジョー

 

まずはオダギリジョーさんのプロフィールからご紹介してみましょう。

 

オダギリジョー、漢字表記は小田切譲といいます。

 

  • 出身地:岡山県津山市
  • 生年月日:1976年(昭和51年)2月16日(47歳)
  • 妻:香椎由宇(2008年より)36歳
  • 身長:176cm
  • 血液型:O型
  • 職業:俳優
  • 所属事務所:鈍牛倶楽部(どんぎゅうくらぶ)

 

オダギリジョー妻:オダギリジョーの経歴

 

オダギリジョーさんのデビューは1999年に『DREAM OF PASSION』が初舞台で俳優デビューをしています。

 

その翌年に『仮面ライダークウガ』の主人公・五代雄介(ごだいゆうすけ)役でテレビドラマ初主演を務めました。

 

この『仮面ライダークウガ』はオダギリジョーさんの出世作となりました。

 

しかしながら幼少期より特撮番組にはあまり興味がなく、仮面ライダーを引き受ける前は「リアルな芝居がやりたいので特撮はあまりやりたくなかった」と発言していました。

 

テレビドラマプロデューサーの高寺成紀(たかてらしげのり)さんにその素質を見出され主役に抜擢されたのでした。

 

映画部門では2003年には『アカルイミライ』では初主演を果たしました、この映画はカンヌ国際映画祭にも正式に出品されました。

 

この作品は、日本映画プロフェッショナル大賞において「作品賞」を受賞し、オダギリジョーさんも主演男優賞を受賞しています。

 

また2004年にビートたけしさんと共演した映画『血と骨』では同年度の国内の映画賞で「助演男優賞」を多数獲得しました。

 

2005年にチャン・ツィイーと共演した『さくらな人たち』では前年に続き男優賞を複数獲得しています。

 

2007年には女優の「香椎由宇」さんと映画の共演がきっかけで結婚されています。

 

オダギリジョーさんの幼少期はサッカー大好き少年でした。

 

映画で共演したことのある「アンソニー・ウォン」が「ジョウーは俳優にならなければサッカー選手としてスターになっていただろ」とその技量を絶賛していました。

 

小学校では吉本興業のお笑いコンビ「次長課長」の河本準一と同級生です。

 

河本さんいわく「クラスでの人気はオダギリ君が1位で僕が僅差の2位でした」と語っています。

 

中学校ではワタナベエンターテイメントに所属する、お笑い芸人グループ・バンドの「超新塾タイガー福田」と同級生で、福田の結婚式にも参加した仲でありました。

 

2008年に行われた自身の出世作である『仮面ライダークウガ』の同窓会にも出席して妹役の千崎若菜(ちざきわかな)の結婚式にはスピーチの「大トリ」として参加しました。

 

オダギリジョー妻:面白エピソード

 

「化面ライダー クウガ」は平成最初の化面ライダーですが、これにオダギリジョーさんは主演しています、オダギリジョーさんは化面ライダーに関しては特撮ものにあまり乗り気ではなかったため、あまり良い印象を持っていないようですが、これに出演することでオダギリジョーさんの知名度は格段に大きくなって行きました。

 

幼い頃に両親が離婚していて、オダギリジョーさんはお母さんが働きに出る時は映画館に預けられていたそうです、そのためオダギリジョーさんは小さい時から映画に親しんでいたそうです、後日語っていましたが、アニメの時は運がよかった、でも洋画の時は字幕が読めないため映画館を走り回っていたそうです、このようにしてオダギリジョーさんは映画に親しんでいたのです。

 

小学校の時からサッカーをやっていてサッカー少年だったようですね、高校は岡山ではサッカー強豪高校の作陽高校に進学してサッカー部に所属していたそうです、今の役柄からサッカーとはあまり結びつかないですよね。

 

これまでに、オダギリジョーさん数々の賞を受賞していてその数は約30個もあるそうです。

 

オダギリジョー妻:二人の馴れそめは

 

二人の馴れそめは2006年に公開された映画「バビリオン山椒魚(さんしょううお)」で共演したことがきっかけで交際が始まりました。

 

そして驚くことに二人は誕生日と血液型がいっしょだったのです。

 

そのため両者の誕生日である2月16日(2008年)に結婚をしました、同じ誕生日どうし神様が引き合わせてくれたのでしょうね。

 

オダギリジョーさんは母子家庭で育ったため香椎由宇さんのお父さんと初めて会った時に、「由宇」さんに対するお父さんの思いに強い刺激を受けました。

 

良き夫、良き父、なりたいという思いが強くなったそうです。

 

オダギリジョーさん曰く「最初から結婚したいという思いが彼女と知り合った時からありました、若い女優さんなのに、廻りに媚びること無く振る舞う姿にカッコイイ子だなと思っていた」と後日述べています。

「香椎由宇」さんも「常に味方でいれくれて、ちゃんと話しを聞いて理解してくれる素敵な人だな」と思っていたようです。ご縁があったというのはこういうことなんですね。

 

ただ悲しいことに二人の間に生れた次男さんは絞扼性イレウスという病により1歳9ヶ月でこの世を去ってしまいました。

 

オダギリジョー妻のまとめ

 

オダギリジョーさんと香椎由宇さんの間には不仲説が一時期出たことがありました。

 

それは、結婚発表から2年が経過した頃に、女性週刊誌が二人の別居を報じたことがありそのために世間の人々はそれを信じ込んでしまったようです。

 

しかも、当時は芸能界きっての仮面夫婦といわれた時期が確かに存在していました。

 

でも事実はそうではありませんでした。

 

その理由というのが、東日本大震災があったときに家族を放射能から守るために一時的に沖縄に移住させたためでした。

 

オダギリジョーさんの家族を愛する思いがあったからこそですね。

 

そんな折に香椎由宇さんの妊娠が発表され月日満ちて玉のような男の赤ちゃんを産んだのです。

 

したがって不仲で別居したというのは全くのデタラメであることが証明されたのです。

 

二人はいつまでも手をとりあって共に白髪の生えるまで仲良く人生を歩んでいくことでしょう。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました