第103代内閣総理大臣に就任した石破茂さんは国会議員として初当選より38年の歳月を経てついに国会議員の最高峰である内閣総理大臣に登り詰めました。今回はそんな石破茂さんの出身大学や生い立ちについて出来るだけ詳しく調査してみました。ぜひ最後までお読み下さいね。
石破茂の生い立ち
石破茂さんは現・内閣総理大臣として日夜国家国民のために尽力しています。
今回はそんな石破茂さんの出身地、生い立ち、学歴などを出来るだけ詳しく調査してみました。
石破茂さんが生まれたのは東京都千代田区でした。
その時お父さんの二郎(じろう)さんは48歳という年齢に達していたのです。
そのため生まれた時には自分が高齢であるため産院へ行きたがらず代わりに秘書を見舞いに行かせたのです。
病院側はその秘書を父親と間違えたというエピソードがありました。
石破茂さんが誕生した翌年にお父さんの二郎さんは鳥取県知事に就任したため、一家を挙げて鳥取県へと転居しました。
なので石破茂さんには東京での記憶は全くありません。
そして中学校を卒業するまでは転居先の鳥取県八頭郡郡家町(やずぐんこうげちょう 現・八頭町郡家)で育ちました。
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お父さんは鳥取県知事や自治大臣を務めた経験のある石破二郎さんと言います。
お母さんは元学校の先生をやっていたこともあって、教育には非常に熱心な方だったようです。
そのために石破茂さんは小さい頃から勉学に励み、良く出来た自慢の息子さんだったようですね。
そしてまた石破茂さんは幼い頃から勉学も出来ましたがその他にも趣味が結構あったのです。
とくに大好きだったのがプラモデルを作ることだったそうです。
第2次世界大戦時代の戦闘機や戦車、軍艦などを作っては遊んでいたということです。
それで今でも軍事オタクと言われるのかも知れませんね。
そしてもう一つ得意なのが料理なんだそうです、中でも石破茂さんの作るカレーライスは絶品という噂があるほどです。
またラーメンも大好きでラーメンの文化振興を目指す議員連盟の会長も務め、各地でラーメンを食べ歩き、みずから振興を図っているということだそうです。
石破茂大学までの道のり小・中学校時代
石破茂さんの卒業した小学校は国立の共学校の「鳥取大学付属小学校」です。
この時お父さんは鳥取県知事をやっており、お母さんは元教師であったため二人とも非常に教育熱心な方でした。
そのため小学校の時から将来を見越してこの小学校を選んだようですね。
そして石破茂さんも小学校の時から勉強は大好きで小さい頃から優等生で通して来ました。
そして小さい頃から本を読むことが大好きな少年だったようです。
小学校の時には勉強が終った後で毎日1時間位読書をする時間をとっていたのです
特に人物をあつかった偉人伝系の本が多かったそうです。
石破茂さんの卒業した中学校は国立の共学校「鳥取大学付属中学校」(偏差値57やや難関)です。
小学校からそのまま鳥取大学付属の中学校へと内部進学したのです。
この中学校は戦後の1947年創立で鳥取県内ではトップクラスの進学校として有名です。
もちろんこの中学校でも石破茂さんは優等生でした。
そして学級委員や生徒会活動にも積極的に参加していました。
当時からリーダーシップもあったということですね。
単に学業が出来ると言うだけの秀才ではなく人望もあったのです。
ただ当時は学生運動のまっただ中の時代でしたから知事を父親に持つ石破茂さんに反感を持つ生徒も多かったようです。
そのせいか、中学2年生の時には、学級委員長や生徒会などの選挙に立候補しましたが、落選してしまったそうです。
この年には立ち退きをせまられていた鳥取駅前の商店街で火災事故があったときに、親しかった友達から「お前の親父のせいではないのか」と疑われ、大変ショックを受けたそうです。
そりゃあ、親しい友達からそんなことを言われたら、ショックを受けるのは当たり前ですよね。
どこかの市長が立ち退かない建物には「火を付けて来い!」などと言ったのとは大違いなのです、それは全くのデマでした。
石破茂高等学校時代
そんなことも重なり、石破茂さんは地元の高校に進学する気になれずに神奈川県にある「慶應義塾高校」(偏差値75)へと進学したのです。
この高校は1950年創立で慶應義塾大学系列の私立高校で創立当初から生徒の個性を重んじる自由な校風で知られているのです。
当然卒業生の多くは「慶應義塾大学」へと進学するので今では偏差値が非常に高い数値となっているのです。
ただ石破茂さんが入学した当時は今ほど偏差値は高くなかったということです。
高校時代は部活などには参加していなかったそうです。
ただこの頃の石破茂さんは当時のアイドルグループだった「キャンディーズ」の熱烈なファンだったのです。
「キャンディーズ」のファンクラブにも入会していて、バスツアーにも参加しているのです。
この時のバスツアーはキャンディーズのファン1500人が計25台のバスに分乗して「静岡県朝霧高原バスツアー」というのを行ったそうです。
引用:https://ameblo.jp/sisicoco/entry-10911520396.html
※矢印の先が石破茂さんだという説があります(本人は否定)
もちろん石破茂さんは現在でもキャンディーズの大ファンであることに間違いはありません。
2011年にキャンディーズの田中好子さんが亡くなった時には「大事な友達を亡くしたような思いだ」と語っていました。
石破茂さんは今でもキャンディーズのシングル曲をすべて歌えるそうです。
高校時代には石破茂さんは国語が得意で漢文や古文では誰にも負けなかったそうですよ。
反面数学や物理は不得意で数学では100点満点中で5点を取るほどでした。
石破茂大学時代
したがって石破茂さんは当初、大学の経済学部に行きたかったのですが「数字を見ると頭が痛くなる」と語っていたのです。
そんな訳で選んだのが慶應義塾大学法学部でした、しかしまあ秀才という人物の選ぶ基準がもう訳がわからん。(^0^;)
この大学へは系列の高校でしたから内部進学で進学しました。
大学へはいっても石破茂さんの勉強熱心なところは終始一貫しておりこの大学時代には「律法会」法律研究サークルに入って法律の勉強を仲間達と共に勉強していたのです。
大学時代には司法試験を受験して弁護士になることも考えていましたが、最終的には会社員の道を選んでいたのでした。
弁護士にはならなかったものの、大学2年生の時には「全国学生法律討論会」に出場して1位になったこともあるほどでした。
なので、もし石破茂さんが弁護士を本格的に目指していてもきっと上手く行っていたことは間違い無いでしょうね。
大学時代には相変わらずキャンディーズのファンであることは間違いありませんでしたが、それにもう1人加わったアイドルがいたのです。
それが「河合奈保子(かわいなおこ)」さんでした。
石破茂さんは大学時代に期末試験の勉強対策サークル「石破のヤマかけ講座」というのを開いていたそうです。
これが非常に人気を呼び、口コミで学内に広がって行ったのです。
その時に参加した学生さん達の中に「河合奈保子」似の美人女学生がいたのです。
それが今の奥様である「佳子」さんでした。
石破茂大学のまとめ
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石破茂さんは幼少期より勉強や読書が大好きという勉学少年だったのです。
小中高大と常にトップクラスの成績を取り大学を卒業すると民間会社の「三井銀行(現・三井住友ぎんこう)」に入社します。
最初の勤務地は東京都中央区にあった三井銀行本町支店でした。
その2年後にお父さんの二郎さんが病没してしまいます。
当時お父さんは1974年7月に参議院議員として初当選しましたが1981年にお父さんが死去されてしまいます。
そのため当時、お父さんの友人であった「田中角栄」首相からお父さんの後を継いで選挙に出ることをすすめられます。
そして1986年「第38回衆議院議員総選挙」において自由民主党から出馬し、29歳の若さでありながら見事に当選を果たします。
これは当時としては最年少の国会議員誕生としてメディアを騒がせたものでした。
続いて1990年「第39回衆議院議員総選挙」において鳥取県全県区でトップ当選を果たし、その後の鳥取県における石破茂さんは当選13回を誇る国会議員としての地位を盤石のものとして行ったのです。
そして今回は五回目のチャレンジにより遂に国会議員の最高峰である「第103代内閣総理大臣」に就任したのです。
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今、日本は内政や外交において数々の問題、重要な課題を突きつけられており石破総理の舵取りが内外から注視されています。
G7首脳テレビ会議に出席しました。G7の最も重要な役割は、法の支配に基づく国際秩序を維持・強化していくことです。ウクライナを含む欧州、中東、インド太平洋の安全保障がますます密接に関連する中、引き続きG7で結束して諸課題に対応してまいります。 pic.twitter.com/v7cVr2I0W7
— 首相官邸 (@kantei) December 14, 2024
我々日本国民も今後の石破茂さんの日本の舵取りを緊張感を持って注視していきたいですね。
最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。
石破茂のプロフィール
- 生年月日 1957年(昭和32年)2月4日67歳
- 出身地 東京都千代田区・育ったのは鳥取県
- 学歴 慶應義塾大学法学部 卒
- 称号 法学士
- 宗教 キリスト教
- 身長・体重 176cm・85kg(推定)
- 公式サイト石破茂 公式ホームページ
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