小芝風花さんは今、最も知名度が急上昇している芸能人の一人です。今回はそんな小芝風花さんが卒業した学校を紹介すると共に特に芸能人が多数輩出している「日出高校」を徹底的に紹介しました、そして小芝風花さんがどのような高校生活を送ったのかがよくわかる内容となっています。この記事を読み終る頃にはきっとあなたも小芝風花ファンの一人になっていることでしょう。
小芝風花高校の序章
小芝風花さんは1997年(平成9年)4月16日生れの26歳です、職業は女優、所属はオスカープロモーションです。
小芝風花さんは2011年に行われた「イオン×オスカープロモーションガールズオーディション2011」でグランプリを獲得。
2012年に「息もできない夏」で女優デビューを果たしています。
2014年に初主演映画「魔女の宅急便」でスクリーンデビューを果たし、同作品で「第52回ブルーリボン賞・新人賞および第24回日本映画批評家大賞・新人女優賞を受賞。
これを気に人気が急上昇し押しも押されぬ人気女優に成長しました。
この「魔女の宅急便」の原作者である「角野栄子」さんもロケ地になった小豆島での取材会で、主演を果たした小芝風花さんを「すごく可愛らしくてイメージ通りです」と絶賛しておりました。
また2016年にNHKの連続テレビ小説「あさが来た」にも出演し、その後もNHKヒロシマのドラマに主演するなどして、女優としての演技がますます円熟味を増して来ました。
抜群の透明感と天真爛漫な性格が人々の心を掴みその後はテレビドラマ、バラエティ番組などと演技の幅がグンと広くなりどんな役でもこなせる若手の女優として大きく飛躍してきました。
今回はそんな小芝風花さんの出身高等学校や経歴などをできるだけ詳しく調査して報告して行きたいと思います。
小芝風花高校:小芝風花の卒業した小中学校
小芝風花さんの出身地は大阪府堺市です。
この堺市の特徴は大阪府の中南部に位置する政令指定都市です。
世界最大の墳墓である仁徳天皇陵古墳をはじめ、百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)や由緒ある寺社や千利休により開化した茶の湯文化など豊かな歴史と伝統文化を有する街です。
そんな町で育った小芝風花さんは堺市堺区で生れました、そして出身小学校は堺市堺区今池町にある「堺市立浅香山小学校」となっています。
この小学校の校区である浅香山町という町が小芝風花さんの実家のある出身地であるという情報がネット上には存在しているのです。
小芝風花さんの家族は両親と姉、妹の5人家族でしたが、両親は小芝風花さんの幼少期に離婚しており、その後は母子家庭として育って来たのです。
小芝風花さんの卒業した小学校は「堺市立浅香山小学校」であるとみてほぼ間違いないでしょう。
この小学校は堺市堺区今池町5丁4-43にあります。
この小学校の特徴は卒業すると隣にある、堺市立浅香山中学校へと進学する子供達が多いのが特徴です。
小芝風花さんもこの浅香山中学校へと進学しました、同じ時期に1学年上にNMB48のメンバーである吉田朱理さんも在籍していました。
他には、プロボクサーの井岡一翔(いおかかずと)やお笑い芸人(超新塾のブー藤原)などが出ています。
中学校に入学した時はまだ小芝風花さんはフィギュアスケートをやっていました、当時は「臨海フィギュアスケートクラブ」に在籍して練習に励んでいたのです。
ちなみにこの頃の小芝風花さんは3回転ジャンプが飛べたそうです。
さすがにオリンピックを目指していただけに実力も十分備わっていたのです、そして第15回全日本フィギュアスケートノービス選手権大会のアイスダンスで優勝しました。
小芝風花高校:小芝風花芸能界へのきっかけ
この時期に浅田真央さんのCMを見て「私もこんなCMに出たい」という思いがあり、それを察知したお姉さんがオーディション雑誌を購入してくれたそうです。
そしてオスカープロモーションの「ガールズオーディション2011」でグランプリを受賞したのです。
このオーディションには全国から35,000人もの応募者があり、小芝風花さんは見事にその中から選ばれたのです。
そのためフィギュアスケートを取るかこのまま芸能界へと進出するかに迷いましたが、こんなチャンスは滅多にないとの結論に達し、フィギュアスケートを辞めて芸能界への道を選んだのでした。
そして芸能活動に専念するために中学3年生の1月に上京して東京で親子3人の暮らしが始まります。
転校した東京都目黒区1丁目6-15にある中学校は日出(ひので)中学校です。
当時を振り返って小芝風花さんは上京当時にホームシックになって「大阪へ帰りたい」と思うことが多かったそうです。
それでも頑張れたのは「家族が一緒に上京してくれているし、自分で決めた道なので“もうやるしかない”という気持ちでした」と強い決意を持ち頑張ったのです。
中学3年生の時に先輩女優の武井咲さん主演のテレビドラマ「息もできない夏」で女優デビューを果たしたのです。
これを機会に小芝風花さんは芸能界への道を歩んで行くことに揺るぎない信念を持ったのです。
小芝風花の高校とは
日出中学校に進んだ小芝風花さんは中高一貫学校のためそのまま日出高校に進学します。
小芝風花さんは高校に入ってからは全日制の芸能クラスに進んでいましたが後に芸能活動に専念するため通信制に変わりました、夢に向かってまっしぐらということですね。
この学校の芸能クラスというのは、芸能プロダクション、劇団と連携し、芸能活動と学業を両立出来る環境は整っているクラスです。
土曜日には授業は無く、週末は芸能活動に専念出来るように配慮がなされています。
そのために、この学校からは多くの芸能人、著名人を輩出した歴史と伝統があるのです。
それでは小芝風花さんが卒業したこの高校の特徴を紹介しておきましょう。
「日出高校は不登校、高校中退生、健康上の理由や成績不振により全日制の高校による通学が困難な生徒、芸能活動やスポーツと学校生活を両立している生徒など幅広い生徒が通っています。
日出高校は比較的小規模な学校で、クラス担任が生徒の様子をきめ細かく見ながら丁寧に指導するため、サポート校を必要としません。
本校の全日制課程に転籍することも可能です。
また、「芸能・プロフェッショナルコース」でが短期集中スクーリングや放送視聴を活用し、効率よい単位修得をサポートしてくれます。」
ではここで、この高等学校の卒業生を少し紹介しておきましょう。
阿部巧(あべたくみ)サッカー選手
菊池亜美(きくちあみ)タレント
菊池桃子(きくちももこ)タレント
原田知世(はらだともよ)歌手、俳優
山口百恵(やまぐちももえ)歌手
山本亮太(やまもとりょうた)タレント
などが挙げられます、いずれも芸能界やスポーツ界で大活躍された方や現在進行形で活躍している方ですよね。
小芝風花高校:小芝風花の高校生活
芸能活動に励みながら学業にいそしむことが出来る素晴らしい学校ですよね。
このように日出高校は今では芸能界御用達のような高校となっているのです。
なお、2019年からは「目黒日本大学高校」に校名が変更されています。
小芝風花さんは同じ関西圏である神戸市出身の井上苑子(いのうえそのこ)さんとは大の仲良しだったそうです。
小芝風花さんは高校時代、仕事も多かったためあえて部活などはせずに帰宅部だったそうです。
高校に入ってからすぐに映画「魔女の宅急便」の主役に抜擢されたため、夏休みも入れると約3ヶ月ほど学校を休んだこともあります。
そして仕事もかなり忙しく、学校行事などはほとんど参加出来なかったそうです。
学生時代の楽しみの一つである修学旅行などや、体育祭、文化祭などに参加する余裕は全くなかったそうです。
これは人気芸能人の悲しい宿命ですね。
小芝風花さんは芸能活動があまりにも忙しかったため高校2年生になると通信制に転科しました。
通信制になると通学が2週間に1回ほどになりますので、都合がよかったそうですね。
そのためあまり同級生などと話しをする機会がありませんでしたが小芝風花さんと同じように全日制から転科した同級生がいたのです。
その生徒と下校時に一度だけファーストフード店に入り、おしゃべりをしたことが高校時代のよい思い出になったそうです。
小芝風花高校のまとめ
今回は小芝風花さんの高校時代を重点的にとりあげて報告してみました。
小芝風花さんの卒業した日出高校は芸能界で活躍してる人も大変多く、芸能界御用達の高校としても有名になっているほどです。
高校3年生の時にはNHKの朝の連続テレビ小説「あさが来た」の出演も決まりこの作品を機に知名度が大幅に上がりました。
そして他の仕事のオファーもグンと増え自身でも「転機になった作品」であったとコメントしています。
小芝風花さんは芸能活動が在学中にも増える一方でしたから、もし普通の高校に進学していれば、おそらくまともに卒業することは難しかったと思われます。
しかしこの高校を選んだおかげでみごとに学業と仕事を両立させることができました。
もちろん本人の頑張りのなせる賜(たまもの)ですよね。
小芝風花さんは高校を卒業するころにはもうすでに売れっ子女優として大活躍していたため大学には進学せずに芸能活動に全力投球をすることにしたのです。
女優として生きる道を選んだ小芝風花さんはブレることなく自分の信じた道を歩むことを決めたのです。
こうした決断力の鋭さは今後も彼女を輝く未来へと運んで行く道になることでしょう。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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