田中美佐子の離婚理由は熟年離婚にありがちなボタンの掛け違いが始まりだった

タレント

田中美佐子さんが結婚したお相手の深沢邦之さんとは7歳の年齢差のある姉さん女房でした。当時は年の差婚や格差婚と言われメディアを大きく賑わしたものでした。今回はそんな田中美佐子さんの離婚の理由について調査してみました。この記事を読むことによって熟年離婚の原因の一つがわかる内容となっています。ぜひ最後までお読み下さいね。

美佐子離婚理由:田中美佐子の略歴

田中美佐子(たなかみさこ本名は同じ)さんは1959年(昭和34年)生れの64歳で職業は女優、タレント。

所属事務所は株式会社「ファザーズコーポレーション」、出身地は島根県隠岐郡西ノ島町です。

田中美佐子さんは松江市内にある私立の小中一貫校「松徳学院高等学校」を卒業後、東洋女子短期大学英語英文科に入学します。

この大学に在学中に「劇団ひまわり」に入団し、大学を卒業後の1981年にTBSの緑山私塾からドラマ「思い出づくり」で女優デビューを果たしました。

その後1982年に映画「ダイアモンドは傷つかない」で映画初出演(主役)これが評価されて「第6回日本アカデミー賞新人俳優賞」を受賞。

同年キングレコードより歌手デビューも果たします。

しかしその後、芸能事務所移籍問題で芸能活動を一時期休止しますが新たに「浅井企画」に移籍して、女優活動を再開します。

この頃にはすでに田中美佐子さんの高い演技力が評価され、多くのドラマ、映画、舞台などをこなすようになって行きました。

そして芸能事務所移籍問題でお世話になった萩本欽一(はぎもときんいち)さんのチーフマネージャーであった佐藤宏榮(さとうひろえ)が立ち上げた芸能事務所「佐藤企画」に第1号タレントとして所属が決まったのです。

 

田中美佐子離婚理由:田中美佐子の結婚

私生活においては1995年11月に元付き人のお笑いコンビ「Take2」の深沢邦之(ふかさわくにゆき)さんと結婚。

深沢さんは田中美佐子さんよりも7歳年下で収入も田中美佐子さんよりもかなり下であったそうです。

当時の田中美佐子さんの年収が約1億円、方や深沢さんは月収10万円とその差は歴然としていました。

田中美佐子さん35歳の時でした。

当時はその格差婚が危ぶまれ、テレビのワイドショーや週刊誌をおおいに賑わしたそうです。

当時を振り返って田中美佐子さんはその頃自分は35歳に達しており、36歳になればもう結婚は無理だ、と自分に言い聞かせていたそうです。

そのため本心は深沢の相方(東貴博あずまたかひろ)でもよかったそうですが、東はまったく田中美佐子さんを女性としてみてくれなかったからだそうです。

東さんに言わせれば田中美佐子さんは女性としての魅力が無いのでは無くて田中美佐子さんが親分肌で怖い存在であったそうです。

また田中美佐子さんは夫である深沢邦之さんの「普通さ」がお気に入りだったそうです。

そりゃあ月収10万円では普通が当たり前ですよね、この頃は深沢邦之さんは「髪結いの亭主」だったんですね。

ある意味うらやましい存在ですね(^_^)

2002年に田中美佐子さんは女児を出産し母親となります。

それ以降数年間は育児休業で仕事はしていませんでした。

 

田中美佐子離婚理由:深沢邦之の略歴

深沢邦之さんは大学生の時に萩本欽一さん主催のコメディアン養成塾「欽塾」のオーディションを受けこれに見事合格を果たしました。

そして「欽塾」の後に出来た「欽ちゃん劇団」に入ったのです、そこで知り合った東貴博さんとお笑いコンビ「Take2(テイクツー)」を結成しました。

そんな深沢邦之さんは1995年に同じ事務所(佐藤企画)で付き人をしていたことのある女優田中美佐子さんと結婚に至ります。

その後フジテレビのバラエティ番組「タモリのSuperボキャブラ天国」に出演したことがきっかけとなり、一躍全国区で有名になって行きました。

その後、TBS系列の朝の情報番組「はなまるマーケット」にレギュラー出演するなど人気が上昇していきました。

また、芸能活動は順調でお笑いだけに留まらず、俳優としてもデビューしています。

そんな深沢邦之さんは実は剣道の猛者なのです!

剣道3段の実力を有し、芸能界でもトップクラスの実力の持ち主と言われています。

同じく剣道3段の実力を有する俳優長谷川初範(はせがわはつのり)さんとの剣道対決(フジテレビ系「芸能界特技王決定戦TEPPEN」)では延長戦を何回も行い激闘を演じましたが、この時には惜しくも敗退していました。

ただしこうして深沢邦之さんが売れて来たとはいえ、収入の格差は田中美佐子さんの方が大きく上回っていたのです。

 

田中美佐子離婚の理由

2人の離婚理由は長女が成長するに従って、夫である深沢邦之さんの方に不満が溜まっていったのではないかと言われています。

深沢邦之さんは妻の田中美佐子さんを支えつつもいつかは自分が家庭を支えなければいけないと思う気持ちがあったのです。

しかし妻の田中美佐子さんは深沢邦之さんに比べ、仕事の量は格段に多かったのです。

そんなことから深沢邦之さんはどうしても埋めることの出来ない格差に諦めにも似た気持ちが増幅して行き自虐的になって行ったそうです。

私の奥さんがそんな人だったら徹底的に支える方に徹しますけどね、それの方がずっと気楽だと思うんですが、深沢邦之さんにとってはそれは重荷だったみたいですね。

専業主夫でいられるなんて私からみれば最高だと思うんですが・・・そこは人それぞれなんですね(^_^)

話しを戻して。

深沢邦之さんはその頃から短時間の仕事でも朝速くに家を出て夜遅く帰るようになり、家に寄りつかなくなったようです。

当然田中美佐子さんにすれば、そんな夫には不信感が膨らんで行きました。

そして2人は家にいても行動を別々にするようになって行ったのです。

こうなって来ると2人の関係はもう仮面夫婦ですよね。

そういったことが重なり離婚へと進んでいったそうです。

もちろん2人はもういい大人ですから離婚への話し合いは十分行われてのことと思います。

 

田中美佐子離婚理由のまとめ

田中美佐子さんと元夫の深沢邦之さんは結婚後に神奈川県の葉山町に新居を建築して移り住み2002年には念願の一女が誕生しましたが2023年6月7日に離婚を発表しました。

二人の結婚生活は1995年の結婚以来、約28年の長きに渡って続いていました。

この間の二人は芸能界でも有名なオシドリ夫婦(仲睦まじい夫婦)として知られていました。

離婚を決意したことについて「ある方にこれは人生において前向きなことなんだとアドバイスをいただき、こうしてご報告することを決意いたしました」と説明。「どうぞこれからも変わらず、パパと私をよろしくお願いいたします。今までありがとうございました。大学生のパパと出会ってから33年以上。心から感謝しています。ありがとう。そして、どうか静かに見守ってくださるとありがたいです」とのメッセージを深沢に寄せた。引用:Yahoo!ニュース

田中美佐子さん夫婦はオシドリ夫婦と言われていたように誰もが2人は「供に白髪の生えるまで」添い遂げると思っていたことでしょう。

田中美佐子さんはこの離婚を前向きなことと捉えているようですね。

おそらく元夫の深沢邦之さんも同じように捉えていることでしょう。

この離婚はいわゆる熟年離婚ということになりますが、当然そこに至るまでは2人でしっかりと話し合いがもたれていることでしょう。

この離婚は2人にとってきっと良い方向に向かって行くこととおもいます。

まだまだ先の長い田中美佐子さん、これからも離婚を乗り越え大きく成長して行かれることは間違いありません。

今後の活躍に大いに期待です!

最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。

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