中山美穂の若い頃は現在とは別人か?幼少期やアイドル歌手時代を探る

タレント

歌手として女優として一世を風靡した中山美穂さん(54歳)が2024年9月6日午前に東京都渋谷区の自宅浴槽内で死亡しているところを仕事関係者に発見されました。死亡の原因についての正式な公表はありませんが事件性は無いようです。謹んでご冥福をお祈りいたいします。

中山美穂若い頃

中山美穂さんが生まれたのは長野県でした、両親は中山美穂さんが3歳の頃に離婚しており、お父さんの顔はおぼろげながらに記憶があるもののハッキリとした面影はほとんど記憶に残っていないそうです。

また戸籍にも載っていないことから私生児の可能性が大きいですね。

お母さんからも別れた経緯やお父さんのことなどはなにも聞かされずに育って来ました。

また中山美穂さん自身もそのことについてお母さんに聞いてみたいと思ったことは一度も無いそうです。

そんなことよりも今のお母さんとの生活の方がずっと大事だったのでしょうね。

そんな中山美穂さんが芸能界に興味を持ったのは当時人気アイドルの頂点に君臨していた「キャンディーズ」の存在でした。

彼女たちの活躍を見て芸能界への強い憧れが生れて行ったのです。

しかし中山美穂さん自身は当時、とても内気な性格で友達もほとんどいないというネクラな性格だったということです。

そうしているうちに小学校4年生になったときにお母さんが再婚します。

この新しいお父さんとの関係は良好だったそうです。

新しいお父さんは詳しい経緯はわかりませんが当時人気のあった男性歌謡グループの「敏いとうとハッピー&ブルー」に入る予定だったと言います、しかし直前になってその話は流れてしまったそうです。

おとうさんはたいそう悔やんでいたそうです。

幼稚園の頃より芸能界に憧れ歌手になりたかった中山美穂さんは原宿でスカウトされる以前にも芸能事務所や映画のオーディション何回も受けていたそうです。

そして中学1年生でスカウトを受けた時も芸能界に理解のあった両親からは大いに喜ばれ背中を押してくれたそうです。

特にお父さんからは喜ばれ芸能活動をしていたお父さんから驚きながらも快く背中を押してくれたそうです。

 

中山美穂アイドル時代とは

中山美穂さんは1985年にTBS系ドラマ「毎度おさわがせします」において突っ張り少女・「のどか」役でデビューするとあっという間に人気が急上昇、その後同年6月にシングル曲「C」で歌手デビューするとこれも瞬く間に17万枚ものセールスを記録するヒット曲となっていきました。

これにより中山美穂さんは女優とアイドル歌手を同時進行するという希有な存在となっていきました。

その後も自分が主演するドラマの主題歌を自分で歌ってヒット曲を連発して行ったのです。

この年は新人アイドルが実に沢山デビューしましたが中山美穂さんはこれらの歌手の中でその頂点に立つそんざいでした。

多くのアイドル達をさしおいて「日本レコード大賞最優秀新人賞」を見事に獲得しているのです。

これまでは女優は女優の道を、アイドルはアイドルとして道を歩むのが王道のようなものでしたが、中山美穂さんはその両方を併せ持つことの出来た唯一の存在でした。

中山美穂さんはその歌唱力もさることながら大人びたそのマスクが多くのファンを魅了して行ったのです。

ただ可愛いだけのアイドルではなく大人のムードを秘めたそのビジュアルが神秘的な美少女として認知を広げて行ったのです、これにより中山美穂さんは美人としての代名詞となって長きにわたり知られるようになって行きました。

中山美穂の死因

中山美穂さんは2024年12月6日正午過ぎに東京都渋谷区の自宅の浴槽で死亡しているのが発見されました。

今日午前9時頃に仕事の都合で品川駅でスタッフと待ち合わせていましたが、約束の時間になっても現れないことから不審に思ったスタッフが自宅の鍵を持っている知人に連絡をとり一緒に自宅を訪れ亡くなっているのを発見したのでした。

中山美穂さんはいつも時間に正確で無断で遅れることなどなかったことからスタッフは不審に思ったということです。

自宅には鍵がかかっており内部も荒らされた様子のないことから突然死ではないかと思われているようです。

発見場所は自宅の浴槽内であったそうですが、その後駆けつけた医師によってその場での死亡が確認されました。

同日夜にクリスマスコンサートが開かれる予定でしたが、公演を楽しみにしていたファンの間からは中山美穂さんの死去について異口同音に「信じられない!」と言った声が寄せられていました。

 

 

この投稿をInstagramで見る

 

MIHO NAKAYAMA(@_miho_nakayama_)がシェアした投稿

死因についてはヒートショックなどが挙げられていますが、今のところ真相は不明です。

ただ現場の状況から遺書や死因となる外傷などはなく、なんらかの病気による可能性が大きいということです。

ヒートショックとは急激な温度変化により血圧が変動し、心臓・血管の疾患が起きやすくなるというものです。

 

中山美穂の略歴

中山美穂さんは女優や歌手として1980年代から1990年代にかけてアイドル歌手として活躍した経歴を持っています。

実際の年齢よりも大人びた面立ちの中山美穂さんは昭和歴代アイドルの中でもトップクラスと言われ大型新人アイドルとして芸能界から大きな期待が寄せられました。

1985年14歳でテレビドラマ「毎度おさわがせします」で女優としてデビューし、「ミポリン」の愛称で親しまれました。

同年6月にはシングル『「C」』でアイドル歌手としてデビューを果たし、この曲は17万枚のヒット曲となり同年末には「日本レコード大賞最優秀新人賞」を受賞、新人歌手の頂点に達しました。

この年は新人アイドルが多数出現した年でもありました。

同期の女性アイドルの中には「浅香唯」、「石野陽子」、「井森美幸」、「斉藤由貴」、「本田美奈子」、「南野陽子」、『森口博子」なども同年にデビューを飾っています。

中山美穂さんは両親と姉、妹の4人暮らしでしたが3歳の時に両親が離婚して、お父さんの面影はほんのわずかしか残っていないと言う。

その後はお母さんが2人の娘を育てるために必死ではたらき、そのため妹と2人は東京の伯母夫婦の下にあずけられました。

そんな幼い2人を不憫に思った伯母夫婦は2人をとても可愛がりました。

このことについては中山美穂さんは「妹と分け隔て無く愛情を持って育ててくれた伯母夫婦には心から感謝している」と語っていました。

そして小学校4年生の時にお母さんは再婚しました。

幼少期には特に「キャンディーズ」が大好きでその活躍を見て芸能界に憧れたそうです。

中山美穂さんは子どもの頃から歌うことが大好きな少女でした。

それも大人の歌謡曲を歌うことが大好きだったのです、そして小さい時から自分は歌手になると豪語していたのです。

そんな中山美穂さんを伯母夫婦は微笑ましい笑顔を見せながら育ててくれました。

中山美穂さんは今でも伯母夫婦が大好きだったそうです。

芸能界に憧れを持っていた中山美穂さんは中学1年生の時に原宿でスカウトされ、迷うこと無く芸能界へと飛びこみました。

その後の芸能活動は順調に推移して1985年1月の14歳で「毎度おさわがせします」で女優デビューするとアッという間に人気を集め、本人曰く「朝目がさめたら有名人になっていた」というほどでした。

同年6月にはアイドル歌手としてもデビューを果たしデビュー曲が17万枚のヒット曲となり一躍歌手としての人気も急上昇して行きました。

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

中山美穂プロフィール

生年月日     1970年(昭和45年)3月1日

出身地      東京都小金井市

身長       158cm

血液型      O型

職業       女優、歌手、アイドル

所属事務所    ビッグアップル

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました