田中真琴さんはモデル、女優として今では大活躍されていますが、この田中真琴さんは実はプロのサッカーチーム「ジュビロ磐田」の大ファンでもあります、長年のジュビロ愛が認められ今ではジュビロ磐田のアンバサダーまで務めるようになりました。今回はそんな田中真琴さんとジュビロ磐田の関係を出来るだけ詳しく紹介してみたいと思います。ぜひ最後までお読み下さいね。
田中真琴ジュビロ:の序章
田中真琴さんは女優、モデル業を本職としています、1995年(平成7年)1月30日生れの29歳(2024年4月現在)です。
京都府京都市北区出身で、学歴は京都府立山城高等学校を卒業後、仏教大学社会学部入学し、ここを卒業。
「2014年度ミス仏教大学」でグランプリを獲得しています。
このグランプリをきっかけに芸能界にデビューを果たしています、そして「感覚ピエロ」などのミュージックビデオにも出演しています。
2017年には「この時が終る前に」で初舞台を経験する、この時に演じたのは男子高校生役でした。
田中真琴さんは高校、大学時代の8年間をバトミントンと新体操をやっていました。
そして静岡県磐田市出身のお母さんの影響を受けて、サッカーJリーグの「ジュビロ磐田」の大ファンでもあります。
本来京都出身であるなら、関西のJリーグを応援しそうなものですが、田中真琴さんはジュビロ磐田が大好きなのです。
それはお母さんの故郷の静岡も大好きということに繋がりますね。
お母さんが京都で暮らすようになってからも帰省するたびにスタジアムにジュビロ磐田のサッカーの試合や練習を見に行っていたそうです。
お母さんは田中真琴さんが生れる前からジュビロ磐田のサポーターをやっていたそうです。
お母さんのジュビロ磐田愛は京都に何年住んでいても静岡、磐田愛はブレることはないでしょうね。
自分が生まれ育った故郷というのは故郷を離れて何年違う場所に住んでいても故郷というのは忘れられない存在なんですね。
私も和歌山県の田舎で高校を出るまで育ちました、そして大阪に住み着いて50年以上になります。
それでも高校野球を応援するのは第一に和歌山県の高校を応援していますから田中真琴さんのお母さんの気持ちは良く理解できますね。
田中真琴ジュビロ:ジュビロ磐田というチーム
ではジュビロ磐田というのはどんなチームなのか調査してみましょう。
Jリーグは日本サッカーの強化と地域スポーツの振興を目的に、1991年に設立された日本初のプロサッカーリーグです。
このサッカーチームにはJ1とJ2というのがあります。
野球に例えると1軍と2軍のちがいですね。
毎年、j1リーグの下位の数チームはj2チームに自動降格してしまい、j2チームの上位のチームが自動的にJ1へと昇格します。
このためj2チームに所属するチームはJ1昇格を目指して熾烈な戦いが繰広げられているのです。
野球の場合は1軍から2軍へ、2軍から1軍への移動は個人ですがサッカーの場合はチーム全体で動きます。
テレビの中継もJ1の方が圧倒的に多く、J2は試合の中継はかなり少ない傾向にあります。
1991年に設立され最初の試合が行われたのが、1993年5月15日に行われたヴェルディ川崎対横浜マリノスが最初でした。
田中真琴さんが応援するサッカーチーム「ジュビロ磐田」は当初は磐田市のみでしたが、その後静岡県西部地域7市1町に広域化しています。
御前崎市、菊川市、掛川市、袋井市、磐田市、浜松市、湖西市、周智郡森町をホームタウンとする、日本プロサッカークラブです。
このジュビロという意味はポルトガル語、スペイン語で「歓喜」という意味だそうです。
サポーターを初めとするすべての人々に夢と感動を与えるという意志を表しているそうです。
このチームは1972年に創部された「ヤマハ発動機サッカー部」が前進となっています。
その後、1993年にJリーグ準会員、1994年にjリーグ正会員となっています。
本拠地は磐田市で運営会社は「株式会社ジュビロ」でヤマハ発動機等が出資しています。
田中真琴ジュビロ:田中真琴のサッカー愛とは
そんなサッカーチームのジュビロ磐田をこよなく愛する田中真琴さんですが田中真琴さんが「ジュビロ磐田」を愛するようになったのはなんといってもお母さんの存在が大きかったのです。
お母さんは静岡県磐田市出身で「ジュビロ磐田」が創立した時からの大ファンだったそうです。
田中真琴さんは京都出身の29歳ですから、お母さんはもう相当長く京都に住んでいることになりますよね。
京都に住むようになった理由は公表されていませんが、旦那様の仕事の関係かもしれませんね。
そんなお母さんは、京都で暮らすようになってからも帰省することがあると必ずスタジアムに見学に行っていたようです。
1995年生れの田中真琴さんがお腹の中にいる頃から見にいっていたそうです。
そんな訳で田中真琴さんは物心ついた頃からジュビロのサポーターになっていたそうです。
お母さんのジュビロ磐田愛は半端ではなく、熱狂的という表現がピッタリするくらいだそうです。
家でもジュビロ磐田のフラッグを飾ったり、玄関マットにもロゴが入っていたり、車にはジュビロ磐田のシールがはってあるそうです。
親子でジュビロ磐田の試合を見に行くときは、その気合いは最高潮で、「ジュビロ磐田」のユニフォームを着込んで行きます。
お母さんは選手時代から名波浩監督の大ファンで雨の日でも監督が出て来るのを待ってサインをもらったりしていたそうです。
ホームゲームでも頻繁に静岡に見に行っていたそうですし、関西で行われるアウェイの試合はすべて見に行っていたそうです。
「カタマーレ讃岐」との試合では四国まで行って、うどんをもらったこともあったそうです。
お母さんは「ジュビロ磐田」の熱狂的ファンではありますが、海外のサッカーのことはほとんど興味がなくて海外チームのことなどはほとんどわからないそうです。
田中真琴さんもジュビロ磐田の大ファンですが、学生時代は新体操とバトミントンをやっていたそうです。
でも球技は苦手でサッカーも理屈ではわかっていても脚の動きがおぼつかない状態だったそうです。
学生時代に京極スタジアムでビール売りのアルバイトをやったことがあるそうですが、その時に聞いたスパイクとボールが当たる瞬間の生の音が何ともい言えずに大好きだったそうです。
とはいえ、自分でサッカーをすることはないようです、でも新体操やバトミントンが出来るというのは凄いと思いますね。
田中真琴ジュビロ:田中真琴アンバサダー就任
田中真琴さんは2023シーズンより創立された「ジュビロクラブアンバサダー」にも就任しているのです。
これはジュビロ磐田にゆかりのある、様々な分野で活躍している方々に「ジュビロクラブアンバサダー」として就任して頂いているのです。
そうすることによって互いの強みを活かした取り組みを行うことで、双方の価値向上を目指すものです。
ジュビロ磐田のアンバサダーに就任した喜びを田中真琴さんは次のように語っているのです。
「今回ジュビロクラブアンバサダーに、選んでいただきとても嬉しいです。ありがとうございます。
物心つく前から大久保グラウンドやヤマハスタジアムに遊びに行って、小学生の頃は藤田俊哉さんの下敷を自慢げに使っていた私が、大人になってもジュビロ磐田のPRを手伝わせていただけるなんて当時夢にも思ってなかったので、正直まだ現実味がないくらい嬉しいです。あの頃のジュビロ磐田とはまた違う今のジュビロ磐田の魅力を、サポーターの皆様と見つけながらときには作りながら、たくさんの人に広めていきたいと思います。
閉鎖的になりがちなJリーグだからこそ、ジュビロ磐田サポーターは、“にわかサポーター”から“ガチサポーター”までみんなが楽しめる幅広いチームになったら良いなと思っています。また私も“にわかサポーター” と言われることがあったのでその経験を活かしつつ、私ならではの新奇なアイディアでジュビロを盛り上げて、“にわかサポーター”をたくさん増やして行きたいなと思っています!これからよろしくお願いします!」
【引用】:ジュビロ磐田ホームページ
田中真琴ジュビロのまとめ
「2014年度ミス仏教大学」に選出されたことをきっかけに芸能界入りを果たしている田中真琴さん。
京都出身でありながら実は熱狂的なジュビロ磐田というサッカーチームの大ファンなのです。
ジュビロ磐田というのは静岡県磐田市に本拠地をおくプロサッカーチームです。
それはお母さんが今は旦那様の仕事の都合でしょうか、長年京都に在住ですが、ジュビロ磐田のチーム草創期からの大ファンなのです。
田中真琴さんがお腹に中にいる頃からジュビロ磐田の試合をスタジアムに見学に行っていたそうです。
その影響もあってか、田中真琴さんは物心ついた頃からジュビロ磐田のファンになっていたということです。
田中真琴さんは幼い頃からのジュビロ磐田のファンでたった一人でも時間の都合がつけばホームタウンやアウェイの試合でもスタジアムへ応援に駆けつけるほどの懲りようです。
ジュビロ磐田の大ファンである田中真琴さんは2023年からは田中真琴さんのジュビロ愛が評価され、ジュビロ磐田のアンバサダーとしても活躍するようになりました。
4月から新たに始まった「松本まりか」さん主演の「ミス・ターゲット」というテレビドラマにも出演が決定しています。
芸能界とジュビロ磐田のアンバサダーとの両立もきっと上手くこなして、芸能活界ではさらなる飛躍を見せてくれることでしょう。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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