山崎育三郎が結婚したのは元モーニング娘の安倍なつみで3児のパパとなった

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ミュージカル界のプリンスとして有名な山崎育三郎さんは国民的人気アイドルグループ、モーニング娘の初代センターをつとめた安倍なつみさんと舞台の共演がきっかけで結婚へと至りました。今回はそんな山崎育三郎さん夫妻が結婚へと至った経緯を紹介して見たいと思います、この記事を読むことによってお二人の絆の深さが一段とわかる内容となっています、ぜひ最後までお読み下さいね。

山崎育三郎結婚の序章

山崎育三郎(やまざきいくさぶろう)さんは1986年(昭和61年)1月18日生れの38歳です。

職業は俳優、歌手、司会者などで所属事務所は株式会社「研音」で出身地は東京都です。

山崎育三郎さんは両親と男ばかりの4人兄弟の3男として誕生しました。

お父さんは普通のサラリーマンでお母さんは歌が大好きでした。

山崎育三郎さん自身もお母さんの影響で幼稚園の頃から歌を歌ったり聴いたりすることが大好きな子どもでした。

でも引っ込み思案な性格でもあったのです。

そこでお母さんが自分に自信を持たせるために歌のレッスンを山崎育三郎に習わせたのです。

そして1997年の全国童謡コンクールにおいて審査員特別賞を受賞。

小学校6年生の時には学芸会で何と主役に選ばれて全校生徒の前で始めてミュージカルに出演しました。

この時のミュージカルは「人間になりたかった猫」だそうです。

一体どんなストーリーなのでしょうね。

その後、歌の先生から小椋佳企画のミュージカルのオーディションを受けるように勧められて3000人の中から主役に抜擢されたのです。

これがきっかけとなり、ミュージカル俳優になることを決心したのでした。

そして中学3年生の時に変声期を迎えるまで舞台やテレビに出演したのです。

2001年3月に中学校を卒業した山崎育三郎さんは同年4月になると「東邦音楽大学付属東邦高騰学校」へと進みます。

この高校時代にアメリカに留学してそこでの経験から引っ込み思案であった性格が一気にポジティブになり人前に出ても堂々と行動出来るようになったそうです。

そして2004年3月にソニーミュージックのオーディションにて約2万人の中から最終10名に選考されました。

翌年3月に晴れて「東邦音楽大学付属東邦高等学校声楽科」を無事卒業し、東京音楽大学声楽演奏家コースへと進学したのです。

 

山崎育三郎の結婚相手は元モーニング娘

私生活においては山崎育三郎さんは元モーニング娘の「安倍なつみ」さんと4年間の交際の後に結婚しています。

二人のなれそめは舞台「嵐が丘」で夫婦役で共演したことがきっかけでした。

その後二人には7歳、5歳、1歳の3人のお子様に恵まれ仕事、家庭と充実した生活を送っており、芸能界でもオシドリ夫婦として有名です。

この間に2人の間には不仲説が流れ、離婚しているのでは、との噂もありましたが、それは全くのデマ情報であることが判明しています。

それではここで山崎育三郎さんの妻である元モーニング娘の安倍なつみさんとはどう人なのかについて紹介しておきましょう。

安倍なつみさんは1981年(昭和56年)8月10日生れの43歳です。

出身地は北海道室蘭市で同じく元モーニング娘の飯田圭織(いいだかおり)さんとは出身地も同じで、同じ産院で生れています。

しかも2人の誕生日は2日違いで飯田圭織さんが2日早く生れています。

この時2人は同じ新生児室にいたそうです。

まさかこの時には2人が将来同じアイドルグループとして活躍するとは神ならぬ身の知る由もないことでしたね。

安倍なつみさんは1997年に行われたオーディション番組で「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」において最終選考まで行きましたがあえなく落選。

この時に最終候補に選ばれた、中澤裕子(なかざわゆうこ)、石黒彩(いしぐろあや)、飯田圭織(いいだかおり)、福田明日香(ふくだあすか)らとシャ乱Qの「つんく」の指導の元、モーニング娘を結成。

1998年1月にシングル「モーニングコーヒー」を発売してメジャーデビューを果たしました。

そして同年12月31日の「第40回日本レコード大賞最優秀新人賞」を獲得しているのです。

そしてその年の「第49回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たすという大出世を果たしました。

 

山崎育三郎結婚:山崎育三郎と阿部なつみ

2011年に2人はミュージカル「嵐が丘」で夫婦役を演じて、後には実際に夫婦になってしまいました。

結婚に至るまでは4年という交際期間があったのです。

そんな2人はいまでは芸能界でも「オシドリ夫婦」として有名ですが、そんな安倍なつみさんにはこの結婚は略奪婚ではないかとの噂が流れたことがありました。

でもそれは結論から言えば全くの噂話でしかありませんでした。

ではどうして「安倍なつみの略奪婚」の噂がながれたのでしょうか。

それは山崎育三郎さんが安倍なつみさんと出会う前の2007年に山崎育三郎さんが松田聖子(まつだせいこ)さんの一人娘であった神田沙也加(かんださやか)さんとの間で熱愛報道が出たことにありました。

神田沙也加さんとの2人のデート写真などが撮影されたこともあったようです。

そしてその後2人が破局したというような報道がなされないまま、安倍なつみさんとの熱愛が報道されたために略奪婚ではないかとの噂が流れてしまったのです。

この時神田沙也加さんは山崎育三郎さんが安倍なつみさんとの熱愛報道の直後に体調不良の「急性胃腸炎」で舞台を降板してしまったのです。

そのために安倍なつみは略奪婚であるとの報道が出回ってしまったのでした。

ただ、神田沙也加さんの体調不良が山崎育三郎さんと安倍なつみさんの交際報道のせいであったかどうかは今となってはすべて闇に包まれたままとなってしまいました。

そんな安倍なつみさんの再婚説も流れていました。

これは安倍なつみと検索した時に「安倍なつみ元夫」というワードが上位に表示されたためでした。

しかしこれも全く何の根拠もないことで、安倍なつみさんは山崎育三郎都の結婚が初婚であることがすでに判明していることが事実なのです。

いずれにしても当時は2人は時代を代表するスーパースターでしたからちょっとしたことに尾ひれがついて大げさな報道がなされてしまったようですね。

 

山崎育三郎結婚:山崎育三郎と妻の共演NG論とは

これほどの有名人となると、必ず出てくるのが、不仲説や離婚説です。

これは山崎育三郎さんがご夫婦での共演をNGとされているからです。

そして安倍なつみさんの略奪婚の噂もこれに拍車をかけているからでしょう。

しかし、この略奪婚に関しては単なる噂の域を出るものではありません。

また安倍なつみさんの再婚説も根拠のない話しで二人とも全くの初婚なのです。

仲の良い夫婦ならば共演することは自然な流れであっても不思議ではないのですが、山崎育三郎さんの場合はちょっと違うようですね。

それはなぜなのか?

それはお二人の立ち位置の違いにあります。

山崎育三郎さんは言わずと知れたミュージカル界のプリンス、方や安倍なつみさんは超有名アイドルグループのメインスターであるからです。

この立ち位置の違う二人が共演すればお互いのイメージが損なわれるのではないか、と思われるためです。

そのため二人の共演NGは決して不仲を表すものではありません。

お互いのポジションをしっかりと守りイメージを崩さないためでもあるのです。

お二人は3人の子宝にも恵まれ仕事に家庭にと今、絶好調なのです、夫婦の絆は深まるばかりです。

離婚など全くありえないと言っても過言ではありません、素敵な夫婦関係はしっかりと守られているのです。

 

山崎育三郎結婚のまとめ

山崎育三郎さんの妻はスーパーアイドル、モーニング娘のトップを務めた安倍なつみさんです。

お二人は約4年という歳月をかけて愛情を温め2015年12月29日に入籍を果たしました。

お二人はお互いの仕事をたたえ合い、仕事も大事ではあるが何よりも家庭を第一に考えゆったりとしたベースで活動したい旨の発表をしています。

山崎育三郎さんはミュージカル界のプリンス、方や安倍なつみさんは人気アイドルグループ、モーニング娘の初代センターをつとめたモーニング娘のレジェンドとして知られているのです。

有名芸能人ともなれば結婚して子どもが出来たからといって仕事をおろそかに出来ないという方もいらっしゃいますが、安倍なつみさんはそうではありませんでした。

モーニング娘のセンターを務めた安倍なつみさんではありますが、お子様が誕生してからは3年間仕事を離れ育児に専念しましたが、これには何の迷いも無かったそうです。

母親として子どもの側にいてあげたいという当然の思いからですね。

お二人は「嵐が丘」の舞台での共演をきっかけにお付き合いをはじめて結ばれたのでした。

今では山崎育三郎さんご夫妻は3人の子宝にも恵まれ仕事に家庭にと充実した人生を歩まれているようです。

これからの芸能活動にもより一層注目して行きたいですね。

最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。

 

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