椿鬼奴の大学時代とその学歴を調査してわかった面白い真実とはこれだ

お笑い芸人

椿鬼奴さんという吉本興業所属(東京吉本)のお笑い芸人さんがいらっしゃいます。お笑い芸人ではありますが女優としても活躍されています。学校は中高一貫校の私立学校で学んでいましたが、勉強はあまり好きではなかったようですね、今回はそんな椿鬼奴さんの学歴を中心に生い立ちなども出来るだけ詳しく調査報告してみたいと思います、是非最後までお読み下さいね。

椿鬼奴大学の序章

所属は吉本興業(東京吉本)で職業はお笑いタレント、女優、で出身地は東京都渋谷区です、名前を

「椿鬼奴(つばきおにやっこ)」と言います、1972年生れの(52歳)で、本名は宮崎雅代(みやざきまさよ)と言います。

現在は「キュートン」というグループで活躍されています。

学歴は大学卒業となっています。

実家は東京の渋谷区に生れ、生まれた時は裕福な家庭に誕生したのでした。

鉄鋼会社に勤めていたお父さんが株式投資を始めて、バブルの時代には株で大儲けをしていたのでした。

そのためバブル期にはかなり裕福な暮らしが出来ていたそうですが、バブルが崩壊するとお父さんは今度は逆に株で大損をしてしまいます。

そのため借金の返済で自宅マンションを売却することになってしまいました。

その後両親は不仲になってしまい、離婚へと進んでしまいます。

そして20歳になった時に、お母さんと弟の3人で家を出て横浜市の日吉へと引っ越しをすることになったのです。

そこで3人で暮らしながら、鬼奴さんはアルバイトをしながら大学まではなんとか卒業することが出来ました。

大学は卒業したものの、すぐに就職する気にはなれずに、1ヶ月ほど遊んでいたのです。

その時に友達に誘われてインターネットカフェで2年間アルバイト生活を送ります。

そうしているうちに輸入販売会社の社長の娘であった友達の誘いでこの会社に就職して椿鬼奴さんはOL生活をはじめるようになったのです。

OL時代は生活に彩りを添えるためのフィットネスクラブや英会話教室に通い自分磨きに務めていました。

しかし、それにも飽きてしまった頃に、その社長の娘さんの友達が「ケイコとマナブ」という雑誌に載っていた吉本興業の芸人養成所を偶然発見します。

そしてその友達にこの養成所に入ってみてはと勧められます。

これに興味をもった椿鬼奴さんはお稽古事感覚で東京NSC4期生に入学します。

その間に社長の娘さんに勧められて入ったその会社が倒産してしまいます。

それをきっかけに本格的に芸人としての道に進むことになったのです。

 

椿鬼奴大学:椿鬼奴の小・中学校時代

そして26歳に時に「金星ゴールドスターズ」として相方のハンバーグと組んでデビューを果たしたのです。

2002年にはキュートンとして9名で結成しましたが、その後2組が寿卒業して現在は5名のメンバーで活躍しています。

今回はそんな椿鬼奴さんの学歴から紹介してみたいと思います。椿鬼奴さんが出た小学校は、東京都渋谷区内にある

「渋谷区立猿楽小学校」となっています。

椿鬼奴さんの小学校時代は裕福な家庭で、両親と弟の4人暮らしで何不自由なく暮らしていました。

それはお父さんが大手鉄鋼会社に勤めるエリートサラリーマンだったのです、実家も富裕層が住む代官山にありました。

この頃、日本の景気はバブルの真っ最中で、お父さんもサラリーマンを続けながら株で大もうけをしていたのです。

その後バブル崩壊と共にお父さんは株で大損をしてしまいます。

そしてお母さんと離婚してしまい、小学校を卒業すると横浜に住居を移しました。

そんな椿鬼奴さんはこんどは横浜市青葉区にある中高一貫校の名門私立学校「桐蔭学園中学校女子部」に入学します。

この中学校の偏差値は63でやや難関中学校でした。

ここの中学校では椿鬼奴さんは弓道部に所属して、主力選手として活躍していました。

椿鬼奴さんは今でこそお笑い芸人をしていますが、中学生の頃は意外と人見知りであまり目立つタイプではありませんでした。

しかし、人前で歌うことは大好きで修学旅行などで歌った歌が友達に大ウケしたそうです。

この時は移動中のバスの中で梅沢富雄さんの「夢芝居」を歌って大ウケしたそうです。

椿鬼奴さんは中学時代の成績は普通の出来だったそうです。

 

椿鬼奴大学:椿鬼奴の高校・大学時代

「   桐蔭学園高校 」


椿鬼奴さんの進学した高校は中高一貫校の私立学校であるためそのまま桐蔭学園高校女子部に進学します

この高校の偏差値は64でやや難関校となっています。

高校に進学してからも椿鬼奴さんは弓道部に所属して部活の練習に励んでいました。

その甲斐あって弓道部の県大会では見事に優勝、関東大会では堂々の4位という優れた成績を残しています。

後にテレビ番組でも弓道の腕前を披露しており視聴者からも感嘆の声が上がっていました。

弓矢を構えた椿鬼奴さんの姿は中々凜々しいものがありました。

この学校でもあまり目立ったことはなく、成績も普通だったと語っています。

椿鬼奴さんの在籍した中学・高校は校則が厳しく、高校生の時肉まんを購入して食べていた所を近所の住人に通報されて先生に捕まってしまった。

という椿鬼奴さん曰く「肉まん事件」があったそうです。

その後「肉まんを食べてすみません」という反省文まで書かされた事がくやしかったそうです。

今では懐かしい思い出になっていることと思いますが、そんな事をいちいち通報する住民がいるのですね、災難でしたね椿鬼奴さん。

椿鬼奴さんは中高一貫校の名門私立学校に通ってはいましたが、6年間ほとんど勉強はしなかったそうです。

それでも成績は普通だったということですから、元々頭は良かったのでしょうね。

しかし、大学受験に際して中学1年生で習う基礎がほとんど分からずに、この年の大学受験は20校以上受けて全滅状態だったのです。

しかし、両親からは大学だけは出て欲しいという願いから、予備校に通い一浪の末に清泉女子大学(せいせんじょしだいがく)へと進学します。


両親が離婚したのはその後のことでした。

この清泉女子大学は現在の偏差値は45となっていますが、椿鬼奴さんが入学した当時の1990年頃は現在よりもかなり高かったそうです。

清泉女子大学では主に英語を学んでおり、アメリカにホームステイした経験もあるそうです。

このアメリカホームステイ時代を経て洋楽にはまってしまったそうです。

また清泉女子大学では放送研究会に所属していたそうです、この頃から芸能界には興味があったのでしょうね。

この清泉女子大学時代にバブルの崩壊があり、お父さんは株で大損をしてしまうのです。

それまでは裕福な暮らしをしていましたが、一転してアルバイトをしながら学費を稼ぎ清泉女子大学を卒業する羽目になりました。

清泉女子大学を卒業しても就職する気にはなれずに、2年間ほどフリーターをしてすごしました。

 

椿鬼奴大学のまとめ

幼少期から裕福な家庭に育った椿鬼奴さんでした。

学歴も中学校、高等学校と名門私立校でした。

ところが、清泉女子大学時代に椿鬼奴さんの人生を一転する出来事がありました。

それはお父さんがバブル崩壊と同時に株で大損をしてしまい、多額の借金を抱えるようになってしまいます。

そして両親は離婚してしまい、家族は離散の憂き目に遭い、お母さんと弟の3人で横浜の木造アパートに引っ越します。

清泉女子大学卒業後に2年間フリーターとして生活をしていましたが、友達の紹介でOL生活をするようになりました。

そのOL時代に椿鬼奴さんは東京吉本興業に所属するようになりましたが、務めていた会社が倒産してしまい、仕方なく本格的にお笑い芸人を目指すようになりました。

26歳でデビューして34歳頃までは下積み生活が続きましたが、2006年頃からバラエティー番組での出演が増え始め段々と知名度が上がって来たのです。

その後の活躍はめざましいものがあり、お笑い芸能界において人気お笑い芸人の仲間入りを果たし、今では多くのバラエティー番組などに出演するようになったのです。

また2021年には自身のYouTubeチャンネルを開設し登録者も9600人を数え、一万人に迫る勢いを見せているほどです。

下積み時代の長かった芸人さんはその醸し出す芸風には独特の味があります。

椿鬼奴さんもその一人でこの摩訶不思議な芸風は見る人の心を捉えて離しません。

お笑いの世界に一筋の風を吹き込んだ清泉女子大学卒業の椿鬼奴さん。

これから一体どんな新境地を切り拓いてくれるのでしょうか。本当に楽しみなお笑い芸人さんになりました。

最後までお付き合い頂きありがとうございました。

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