氷川きよしは今どうしてる?演歌界のプリンスの最近とその歴史を探って見た

歌手

氷川きよしさんは約1年の休養から復帰してその歌手活動を再開されました。演歌界のプリンス氷川きよしさんは今年の紅白歌合戦では特別出演することも決定しており今後の活躍が大いに期待されているのです。今回はそんな氷川きよしさんの今や、歌手になるまでの歴史を調べてみました。ぜひ最後までお読み下さいね。

氷川きよしの今と歴史を探る

氷川きよしさんの人気ってすごいわね、私も大ファンよ

氷川きよしさんは今や歌謡界の大御所だからね

氷川きよしさんはその歌の上手さと甘いマスクでデビュー以来の人気を誇っています。

演歌界のプリンス・貴公子とも呼ばれ、特に中年以降のおばさま族には絶大な人気を誇り追っかけをするおばさま族も増加の一途を辿っています。

そんな氷川きよしさんは2022年の紅白歌合戦を最後に歌手活動を休止され休養しておられましたが、今年(2024年)の8月に1年8ヶ月ぶりに歌手活動を再開されました。

もちろん今年の「第75回紅白歌合戦」にも2年ぶりに紅白ステージへの復帰が決定しているのです。

今年の紅白歌合戦では紅組、白組の枠を超えた特別企画での出場となっています。

氷川きよしファンの皆様にとって待ち望んでいたことですね。

氷川きよしさんは紅白歌合戦への出場に対して次のような喜びのコメントを発表されているのです。

「このたび、第75回NHK紅白歌合戦に出場させていただくことになりました。
ありがとうございます!
応援してくださるたくさんの皆様に心から深く感謝申し上げます。
2 年前、最後に出場させていただいた時、「また、必ず帰ってきます」と言いましたが、「帰って来られないかも」と思っていたところがあったので本当に嬉しいし、こうしてまた出場させていただけることはありがたいなと思っています。
日本最大級の歌の祭典、歴史あるNHK紅白歌合戦をこれまでにどれだけ多くの方が観られて、その方々の励みになり、
力になったことか。大好きなアーティストを応援するために、テレビの前で待っていらっしゃる方がどれだけいたか。
人の人生を変えるくらいの励ましを送り続けたすごい番組なんだと思うと本当に感動します。
私も皆様のおかげで、デビューした年、2000 年から出場させていただきました。
一番最初は北野武監督と志村けんさんが駆けつけてくださり、信じられないことに 2 年目も応援に駆けつけていただいて、
とにかくその大役を務めるためにたくさんの皆様が応援して背中を押してくださり、それに対して、震えながらも足をガクガクさせながらも「とにかく一生懸命歌う!」という思いでした。初出場の時の緊張は今でも忘れられません。それから 22 年。
連続 23 回出させていただいて、休養期間を経て、また今年も選んでいただけたということで、本当に感激して、応援してくださる皆様に深く感謝とお礼を申し上げます。 ここまで生きて歌ってこられたのも、ファンの皆様、そして、支えてくださるスタッフ、
関係者の皆様のおかげです。
一人の力では何もできません。その真心に応えられるように、復活して初めてのテレビ生出演での歌唱ですので、
精一杯歌わせていただきます。
一人でも多くの方に観ていただいて、これからの人生の生きる力を少しでもお送りすることができたらいいなと思っております。
テレビの前での応援を何卒よろしくお願い致します。」

氷川きよし KIINA.  引用:https://www.kiizna.co.jp/news/detail/post-11588/

 

 

氷川きよし今:氷川きよしの学歴

氷川きよし(本名:山田清志“やまだきよし”)さんは1977年(昭和52年)9月6日生れの47歳です。

愛称はKiina(きいな)と呼ばれてファンの間で親しまれています。

出身地は福岡県福岡市南区です。

学歴は「福岡市立大楠(おおぐす)小学校」卒業。

中学校は地元の「福岡市立高宮中学校」となっています。

この中学校は公立校ではありますが以外と芸能人の卒業生が多いことでも有名なのです。

「タモリ」さん、「高橋真梨子」さん、「森口博子」さん、「博多華丸」さんなどもこの中学校の卒業生です。

氷川きよしさんが歌手になりたいと思った最初のきっかけは中学時代に「チャゲ&飛鳥」の曲にであったことでした。

その頃から氷川きよしさんは多くのファンを魅了するような歌手になりたいな、と思うようになって行ったのです。

そして中学校の先輩である「森口博子」さんが出身中学校に表敬訪問をしてくれたことがありました。

その時に「よしっ、僕もきっと歌手になってやるぞ」との思いを新たにしたそうです。

そんな氷川きよしさんは小さい頃から歌が大好きで中学校になっても同級生の前で歌を披露することがありました。

この歌がクラスのみんなに大ウケで「お前は絶対歌手になれよ」と励まされ自信がついたそうです。

中学2年生の時に平尾昌晃さんが主催するオーディションに合格して音楽教室に通い始めますが、そのうちに教室に通うお金の都合がつかなくなり通うことを断念せざるを得なくなってしまいました。

この時のオーディションで歌った曲は「森口博子」さんの曲で機動戦士ガンダムの曲を歌い、今でも忘れられない曲の一つになっているそうです。

実は氷川きよしさんの中学生時代は今よりもずっと太っていたのです。

クラスの人気者だった氷川きよしさんは中学時代は“デブ清志”のあだ名で髪型も丸刈りだったのです。

でもアイドル歌手になることを夢見ていた氷川きよしさんはこれではいけないと思い「寒天ダイエット」に取り組んだのです。

これが見事に功を奏して16歳になったときには今のようなスリムな体型になることが出来たそうです。

また中学校の時には経済的には恵まれていなくて新聞配達のアルバイトもやっていました。

出身高校は私立の共学校「福岡第一商業学校」のインテリアデザイン科を専攻しています(偏差値38)。

この学校は現在「第一薬科大学附属高校」となっています。

現在は九州で唯一の「芸能コース」を開設していることでも有名です。

 

氷川きよし今:氷川きよし演歌への道

この頃はアイドル歌手になることを夢見ていたのでまさか「箱根八里の半次郎」という股旅物で演歌歌手としてデビューするとは夢にも思っていなかったのです。

第一、氷川きよしさんは「股旅」と言われてもなんことだかさっぱりわからなかったそうです。

それがどうして演歌歌手としてデビューすることになったのでしょうか。

それは高校時代には氷川きよしさんは芸能部に所属して歌のレッスンもあったのですが、この時の顧問の先生がなんと80歳を超えていたのです。

この先生が演歌大好き先生だったのです。

当然先生は歌の上手い氷川きよしさんに演歌をドンドン歌わせるようになって行きました。

そんなこともあって演歌にはハートがあると感じるようになって行きました。

そうするうちに氷川きよしさんは最初はアイドル系やヴィジュアル系のバンドに憧れていましたが段々演歌が好きになって行ったのです。

そして演歌を覚えた氷川きよしさんはある日老人ホームに行きお年寄り達を喜ばせるために演歌を披露したのです。

ここで氷川きよしさんの歌う演歌に聴き惚れて涙を流すお年寄りもいたのです。

ちなみに氷川きよしさんの高校時代は女の子にモテモテだったのです。

告白されることも多くその子とは必ず付き合ったそうです。

しかし二股を掛けるようなことは絶対にしていないということだそうです。

さすがに色男は違いますね(^_^)

 

氷川きよし今のまとめ

氷川きよしさんは幼少期より歌うことが大好きでしたが人前で歌うことは出来ませんでした。

実は氷川きよしさんは小さい時は人見知りだったのです。

でも中学校へ行く頃になるとそんなことは無くなり人前で歌うことに抵抗が無くなっていきました。

そしてクラスで歌ったりしたことで、みんなに褒められるようになったのです。

高校では芸能部で歌の授業も受けていました。

今では演歌歌手として大成された氷川きよしさんですが、演歌だけに留まらずJ-POPも得意とするところです。

氷川きよしさんの特徴は演歌歌手でありますが和服で歌うことは少なく洋服が多いのです。

また歌う時の振り付けなども出来るだけ簡単かつインパクトのある振り付けで幼いファンから高齢者まで覚えやすい振り付けで誰でも簡単に覚えられ親しみやすい振り付けになるように配慮されているのです。

最後に「氷川きよし」という芸名はビートたけしさんが付けたという流れになっていますが、実際はビートたけしさんではなく当時所属していた事務所の会長であった長良じゅんさんが本当の名付け親です。

これは話題作りのために長良じゅんさんがビートたけしさんを名付け親にしたのです。

氷川の氷川は当時所属事務所あった港区に「氷川神社」という神社がありこれににちなんで付けたそうです。

以上、氷川きよしさんに付いての略歴や歌手活動についてお知らせしました。

約1年の休養から復帰した氷川きよしさん。

いまでは歌謡界の大御所として盤石な地位を築いておられる氷川きよしさん。

これからの日本歌謡界を背負って立つ氷川きよしさんの活躍を見守って行きたいですね。

最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。

 

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