加藤ローサがフランスで受けた屈辱的差別とは?その真相に迫ってみた!

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加藤ローサさんは女優、ファッションモデル、タレントとして芸能界で幅広く活躍されています。そんな加藤ローサさんは結婚を機に夫と一緒にフランスへとわたります。そこで加藤ローサさんは現地の人達に露骨な人種差別を受けてしまうのです。今回はそんな加藤ローサさんがうけた差別と、世界の人種差別について調査してみました。ぜひ最後までお読み下さいね。

加藤ローサ フランスの序章

ハーフタレントの加藤ローサさんは女優、タレント、ファッションモデルなど芸能界で幅広く活躍されています。

加藤ローサさんは2004年に結婚情報紙「ゼクシィ」の2代目ゼクシィガールに選ばれたことでブレイクを果たしているのです。

そしてその後は多くのドラマや映画出演にも引っ張りだこの人気女優として急成長して来ました。

そんな加藤ローサさんはフランスへ旅行した際に屈辱的な人種差別を受けてしまったのです。

今回はその差別の真相に迫ってみたいと思います、そして差別についても調査してみたいと思います。

加藤ローサさんはさんがフランスへ渡仏したのは次のような経緯からでした。

加藤ローサさんは2011年6月22日(この日は加藤ローサさんの誕生日でした)にプロサッカー選手の「松井大輔(まついだいすけ)」さんと結婚されました。

その夫の松井大輔さんが当時所属していたのがフランスのプロサッカーチーム「グルノーブル・フット38」だったのです。

そのため同年10月にフランスへと渡仏します。

そして夫の仕事の都合によりブルガリア、ポーランドと各国を渡り歩き2013年に帰国しました。

この間に加藤ローサさんにとってはいろんな新しい体験を繰り返してきました。

そこで特に印象に残っている出来事が、フランスで受けた人種差別体験でした。

 

 

加藤ローサ フランスでの差別の実態

加藤ローサさんが夫の松井大輔さんと最初に行ったのがフランスのとある田舎町だったそうです。

国土の広いフランスでは日本のように有料パーキングのようなものが少なくて基本的に路上駐車がほとんどなんだそうです。

そこで加藤ローサさんが買い物のために路上駐車をしていた時でした。

買い物を終えて車に戻ってみると“黄色い猿は森に帰れ!”などという張り紙をフロントガラスに貼られていたのです。

またあるときなどはテラスが素敵でおしゃれなカフェがあったので中に入って注文をしようと思ったら、いきなり窓もない外が全く見えない奥のテーブルに案内されてしまったそうです。

 

部屋の中にはアジア人や中等系のアラブ人らしき客がほとんどで、感じの良いテラス席はフランス人が占有していたそうです。

この時は最初にテラス席の方でお願いしますと言えばよかったと語っていたのでした。

加藤ローサさんは自分が実際にこのような差別待遇を受けたのは初めてで人種差別ってアメリカだけのイメージがあったそうですが、それはとんでもないあやまりで私達も外国に行ったら差別を受けるだなという事を思い知らされてカルチャーショックを受けたという事でした。

日本では有名人でもフランスの片田舎に行けば加藤ローサさんのことなどほとんどの人は知りません。

ですからそんな扱いを受けたのですね。

 

加藤ローサ フランス:フランス人と差別意識

フランス人は元々ヨーロッパの中でも中東系の人や東洋人に対する差別意識の高い国として有名なのです。

以前もサッカーのフランス代表でFCバルセロナに在籍するウスマン・デンベレ選手が日本のホテルにいた時の出来事でした。

日本人のエンジニアが部屋にあるゲームの言語設定に来てくれた時のことです。

そこで日本人スタッフの話す日本語に対して小馬鹿にしたようなコメントを載せた動画を配信して炎上したことがありました。

この時に仲間と話していた言葉はおおむね次のような言葉だったようです。

「Toutes ces sales gueules pour jouer à PES..T’as pas honte ?/たかがゲームでしけたツラのやつらこんなに呼びつけて恥ずかしいな (笑)」(「しけたツラ」は日本人スタッフのこと、「恥ずかしい」というのは自分たちのことを言っています)

「Putain! La langue!/うわなんちゅう言語!」(ホテルスタッフが話している日本語のこと)

「Alors vous êtes en avance ou pas en avance dans votre pays, là ?/あんたらそれで先進国なの?」(ホテルスタッフがゲームの言語設定変更にてこずっていることについて)

※発言の「ノリ」を表現するために当初、関西弁で訳しましたが、「悪ノリ」を関西弁に訳すのは関西弁のネガティブなステレオタイプ化ではないか、といった主旨の指摘を受け、その通りだと思いましたので標準語に訳し直しました。ステレオタイプ化による無意識の差別を批判する記事でそのような表現を行うのは自家撞着でした。ご指摘ありがとうございました。

引用:https://gendai.media/articles/-/85321

 

この映像には同じくFCバルセロナに所属するアントワーズ・グリーズマン選手も写っていたのです。

この出来事に対してグリーズマン選手は「自分はいつでも差別に反対してきた、なのに今回の出来事は自分と違う人物像にでっち上げられた」と不満を語っていたのです。

要するにグリーズマン選手は今回の出来事は全く差別ではない、と言いたいのです。

この出来事は全然差別ではない、と思い込んでいることこそが問題なのです。

フランス人は中東や、アジア、南米の人々に対する差別が日常の中に溶け込んでいるのです。

ですから差別を差別といわれても全くその意味がわからないのです。

 

加藤ローサ フランス:世界で最初に人種差別撤廃を唱えた日本

前項のことはフランス人に限らずアメリカ人やヨーロッパ人に等しく言えることです。

アメリカ大統領のルーズベルトでさえ「日本人は頭蓋骨の発達が白人より2000年遅れているから邪悪なのだ」

と言い、海軍提督のウィリアム・ハルゼーは「日本人は雌猿どもと、慈悲深い皇帝によって中国から追放された極悪の罪人たちとの交尾による産物だ」。

ということわざを信じ込み部下に対して下等な猿どもを沢山殺して猿肉を沢山作れと勧めていたのです。

「良い日本人は死んだ日本人」ともハルゼーは公言してはばかりませんでした。

日本人など絶滅すべき人種であると信じていたのです。

このように西洋人は東洋人に対して日本人の感覚では信じられない思い込みに支配されていたのです。

では日本人はどうだったのでしょうか。

実は世界で最初に人種差別撤廃を唱えたのは日本人なのです。

1919年2月13日のことでした。

これは第一次世界大戦後の国際連盟の創設を含めた大戦後の国際体制について協議をしていたときに日本は人種差別撤廃案を出したのです。

これに対してオーストラリア、アメリカ、ポーランド、ブラジル、ルーマニアなど反対する国もありましたが採決をとると、なんと出席16ヶ国のうち11ヶ国が賛成、反対は上記の5ヶ国だけでした。

しかしアメリカのウィルソン大統領は「全会一致ではない」としてこの採決を無効にしてしまったのです。

西欧列強がいかに有色人種にたいして強固な差別意識があったかがわかりますね。

このようにこの時の西欧列強はまだ人種差別撤廃に対してとても容認出来る状態ではなかったのです。

いかに西洋人というのは身勝手な人種であるかということが良くわかる出来事ですね。

 

加藤ローサ フランスのまとめ

加藤ローサさんは夫の仕事の都合でフランスへと渡り、そこで始めて自分が人種差別を受けるという体験をしました。

人種差別などはアメリカの出来事と思っていたことが自分の身に降りかかりそのカルチャーショックは大きな衝撃だったのです。

それまでは人種差別を受けたことなど全くなかったのでその驚きは相当なものがありました。

まさに身を持って体験した人種差別だったのです。

人種差別の撤廃にはお互いを良く理解することが大事です、そのことに気付いた加藤ローサさんは、幼子を抱えて知らぬ他国の地で生きるために自分から積極的に話しかけるように務めました。

そしてもっともっと地域社会に溶け込まなければならないと思いあまり社交的ではなかったけれど、自分から進んで分からない事なども地元の人に訊けるようになったということです。

そうするうちに何も出来ないと思っていたけれど知らず知らずのうちに逞しく最強になって行けたそうです。

差別というのは今の世界でも現実として存在するのです。

でもお互いを理解し合えば差別はなくなるでしょう。

日本人が差別をしないのは対立するもの、二律背反するものを対立概念で捉えません。

対立するものを大きく「和」の心を持って共存させ、全体の調和を保ちます、こうして独自の文化を育んで来たのです。

加藤ローサさんもフランスで差別を受けたことにより多くの学びを得たことでしょう。

それはこれからの芸能活動にもきっと生きてくることでしょう。

最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。

 

加藤ローサ フランス:追伸

日本人というのは根底には武士道精神がありました。

大平洋戦争真っ最中の1945年4月12日に米国大統領ルーズベルトが脳卒中で突然他界してしまったのです。

この頃は日本は負け戦のまっただ中にあり、硫黄島では全員玉砕、沖縄においては日米が熾烈な戦いの真っ最中だったのです。

憎んでも憎み足りない米国大統領の死に対して時の内閣総理大臣であった「鈴木貫太郎(すずきかんたろう)」は同名通信社の短波放送で世界に次のように発信しているのです。

「米国F・ルーズベルト大統領の突然死と鈴木首相の弔意 (1)1945(S20)年、3月10日の東京大空襲の余煙燻り、硫黄島栗林兵団は玉砕(3月26 日)し、沖縄では死闘が繰り広げられている最中の 4 月 12 日、米国F・ルーズバルト大 統領が脳卒中で突然他界した。鬼畜米英の首魁とみられていた大統領の突然の死(世界を 震撼させた事件)に対する日独の対応は全く異なった。 (2)独のヒットラーは、ラジオ放送を通じ、「扇動者であり、愚かな大統領として歴史に残 るであろう。運命は歴史上最大の戦争犯罪人ルーズベルトを地上より遠ざけた。」等と述 べた。 (3)一方、鈴木貫太郎首相は、同盟通信社の短波放送により、「今日、アメリカがわが国に 対し優勢な戦いを展開しているのは亡き大統領の優れた指導があったからです。私は深い 哀悼の意をアメリカ国民の悲しみに送るものであります。しかし、ルーズベルト氏の死に よって、アメリカの日本に対する戦争継続の努力が変わるとは考えておりません。我々も またあなた方アメリカ国民の覇権主義に対し今まで以上に強く戦います。」という談話 を、世界へ発信している。 (4)この鈴木首相の談話に深く感動した米国に亡命中の文豪トーマス・マンは、いたたまれ ず、英 BBC で「ドイツ国民の皆さん、東洋の国・日本には、なお騎士道精神があり、人間 の死への深い敬意と品位が確固として存する。鈴木首相の高らかな精神に比べ、あなたた ちドイツ人は恥ずかしくないですか」との声明を発表した。ニューヨーク・タイムズも鈴木首相の談話を驚きをもって報じ、スイスの新聞も「敵国 元首の死に哀悼の意を捧げた日本の首相は、誠に立派だ。これこそ日本武士道精神の発露 だ。ヒトラーが、この偉大な指導者の死に、誹謗の言葉を浴びせたのに比べ、何という大 きな相違か」との記事を社説に載せた。 また世界各国で、首相の哀悼の意の表明は、大きな反響を呼んだのである。」

引用:https://www.ireikyou.com/pdf/memo/memo-135.pdf

 

 

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