大沢たかおが若い頃から映画スターとして大成するまでを調査した結果

タレント

大沢たかおさんという俳優がいます。いまの俳優さんには珍しく映画に重きを置く俳優さんです。そして獲得した賞も数多くあるのです。今回はそんな大沢たかおさんの若い頃に焦点を当てて調査してみました。この記事を読むことによって大沢たかおさんの映画スターとしての姿がよくわかる内容となっています。ぜひ最後までお読み下さいね。

大沢たかお若い頃の序章

大沢たかお(おおさわたかお)さんは1968年(昭和43年)3月11日生れの56歳で職業は俳優、歌手です。

所属事務所は株式会社「コアインターナショナル」で出身地は東京都となっています。

高校生の時に仲間達と一緒にバンドを組んで自身はベースを担当して活動していました。

大沢たかおさんが専修大学に在学中の1987年に新宿でオスカープロモーションのマネージャーにスカウトされたのをきっかけに芸能界へとデビューします。

当初はモデルとしてファッション誌などで活動していましたが、1992年に俳優へと転向し、テレビドラマ「君といた夏」や「若者のすべて」「星の金貨」などの話題作に出演したことから知名度が上がって行きました。

そして1995年の映画「ゲレンデが溶けるほど恋したい」で主演を務めます。

この時の主題歌を後に妻となる広瀬香美(ひろせこうみ)さんが歌い、映画と共に大ヒットとなりました。

当時、すでにスキー人口は下降の一途を辿っていましたが、この映画と曲がヒットしたことにより、一時的にスキーブームが戻ったほどでした。

2000年以降はそれまでテレビでの活動が中心であったものを映画へとシフトします。

そして年間に何本もの映画に出演するようになって行きました。

2005年になると映画「解夏(げげ)」で「第28回日本アカデミー賞優秀主演男優賞」を受賞、

またスティーブン・セガールの主演の映画にも出演してハリウッドデビューをしています。

 

大沢たかお若い頃:大沢たかおの学生時代

大沢たかおさんの幼少期の家族構成は両親と二人のお兄さんがいました。

男兄弟3人の末っ子だったのです。

その頃お父さんは大企業に勤めていたのです。

働き者だったお父さんは残念なことに2006年に他界してしまいます。

子どもの頃は男3人の兄弟だったためよく兄弟喧嘩をしたそうです。

大沢たかおさんはどちらのお兄さんだったかは言ってませんが、あるとき喧嘩になりお兄さんから金魚鉢を投げつけられて割れた破片で血が出て止まらなかったこともあったそうです。

いやはや派手な兄弟喧嘩ですね(^。^;)

小学校の頃、大沢たかおさんはプロレスが大好きで良くお父さんと一緒に後楽園までプロレスを観につれて行って貰ったことがあるそうです。

あるときなどは悪役レスラーをからかって追いかけ回されたことがあったそうで、あのときに感じた恐怖はいまでも忘れられないと後に語っていました。

悪役レスラーをからかうなんて僕には到底無理ですね

中学校に入ってからは友達も沢山出来たそうですが、反面協調性がなくて、団体行動は苦手だったようですね。

大企業に勤めていたお父さんは子供達に良くしっかり勉強して安定した企業に就職することを望み、それを良く言い聞かされていたのです。

しかし大沢たかおさんはそんな生き方は自分には絶対無理だなと思っていました。

高校生になった大沢たかおさんは友達とバンドを結成してライブ活動などもしていたそうですが、高校を卒業すると同時にメンバーと会う機会も少なくなり自然消滅してしまいました。

大学ではボクシング部に入って活動していました、大沢たかおさんは身長が高い(181cm)なので階級ではスーパーヘビー級あたりではなかったかと思われますね。

 

大沢たかお若い頃:大沢たかお芸能界での歩み

そんな大沢たかおさんですが、大学時代のある日新宿を一人でぶらぶらしていたところ芸能事務所のスカウトマンに声を掛けられ興味半分で芸能事務所に所属してみることにしたそうです。

当初は人気雑誌の「メンズノンノ」のモデルとして活動していました。

そしてモデル業界では段々と頭角を現しパリコレにも出演するほどの実力も身につけて行ったのです。

大学卒業後のあるときからモデル業に疑問を感じ一時期モデルを休止して1年間ほどぶらぶらしていたときに遊んでいるより俳優にでもチャレンジしてみないかとの誘いを受けたのです。

そこで「俳優も面白かも」と思った大沢たかおさんはこれをきっかけに俳優へと転身します。

その後1995年の日本テレビのドラマ「星の金貨」で大ブレイクして、大沢たかおの人気は全国区へと広がりました。

同年の映画「ゲレンデが溶けるほど恋したい」で知り合った広瀬香美さんとは4年後の1999年に結婚へと至りました。

この結婚はあまり長続きせず、12006年に二人は協議離婚をします。

大沢たかおさんはその後独身を貫いています。

大沢たかおさんを語る時に忘れてはならないのが2009年に始まったドラマ「JIN-仁-」です。

このドラマは大人気を博し近年のドラマでは珍しく視聴率が25%を超える記録を残しているのです。

当時は大沢たかおと言えば「仁先生」でした。

そしてこれまでに獲得したテレビや映画における「賞」は11もあるのです。

助演男優賞 3回
優秀主演男優賞 1回
最優秀主演男優賞 2回
優秀助演男優賞 1回
主演男優賞 3回
特別賞 1回

 

大沢たかお若い頃のまとめ

大沢たかおさんは大学時代に芸能事務所にスカウトされたことをきっかけにモデルから俳優へと転身し、今は映画の世界を主軸に活躍しているのです。

ただ、大沢たかおさんは2016年から約2年間にわたり、俳優活動を休んでいた時代があったのです。

この時の状況を2019年9月に出演した人気トーク番組「徹子の部屋」で「頑張っても頑張ってもドキドキしなくなったから」と語っていたのです。

道を極めた人間はフッとそれまでの自分を振り返った時に俺が求めて来たものはこんなものだったのかな?とむなしくなることがあるのも事実です。

僕は大沢たかおさんはその時にそんな気持ちになったのではないかと思います。

そしてそれらが吹っ切れた時に今度はまた気持ちを新たにして自分の信ずる道を突き進む。

だからこそ大沢たかおさんは「キングダム」で王騎将軍を演ずるにあたり20kgも体重を増やし其の役にどっぷりと憑依して行ったと思います。

 

吹っ切れた人間はそれまでよりも数段強くなります。

今の大沢たかおさんはまさにその境地に入り込んでいるのです。

大沢たかおさんは今の俳優達が忘れてしまったスターなのです。

大沢たかおさんは俳優ではありません、銀幕のスターなのです、数少ない令和の映画スターなのです!

最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。

 

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