出川哲朗さんは今芸能界における「イジられキャラ」として盤石の地位を確保し、お茶の間に人気が急上昇しているのです。今回はそんな出川哲朗さんの実家は何処なのか、また出川哲朗さんは幼少期にどんな育ち方をしたのかなどを深掘りして調査報告してみたいとおもいます、この記事を読み終える頃にはきっとあなたも出川哲朗さんのファンの一人になっていることは間違いありません。
出川哲朗実家の序章
出川哲朗(でがわてつろう)さんは1964年(昭和39年)2月13日生れで61歳です。
出身地は神奈川県横浜市神奈川区で所属事務所は「マセキ芸能社」です。
職業はお笑いタレント、司会者、俳優、劇団SHA・LA・LA座長を生業としています。
学歴は小学校については確実な情報がありません。
しかしながら出川哲朗さんの出身地である横浜市神奈川区であるとするならばおそらく、横浜市立幸ヶ谷(こうがや)小学校の可能性が大だと思われます。
中学校も同様に決定的な情報はありませんが、同じ区内だとすると横浜市立栗田谷(くりたや)中学校と思われます。
高等学校に関する情報は確かなものがあり、神奈川県横浜市にある中高一貫校の私立学校で出川哲朗さんはこの男子校である武相高等学校を卒業しています。
高校卒業後の1985年に「横浜放送映画専門学院(現:日本映画大学)」を卒業しています。
この学院に入学した当時は出川哲朗さんは役者志望でありました。
この専門学校時代の同級生だった「内村光良(うちむらみつよし)」「南原清隆(なんばらきよたか)」「入江雅人(いりえまさと)」らと劇団を旗揚げして自ら座長を務めていたのです。
1986年に映画「君は裸足の神を見たか」で映画デビューを果たします。
そしてその後、国民的人気映画の「男はつらいよ」シリーズに第37作から41作までなんと連続5回も出演しているのです。
他にも多くの映画のエキストラに出演しており、ウッチャンナンチャンからは「エキストラの帝王」の異名をもらっているのです。
その後はテレビドラマやバラエティー番組に多数出演しており、俳優より「お笑いタレント」として名があがり、今では「可愛いイジられキャラ」としてお茶の間で大人気を博するようになりました。
出川哲朗の実家とは
今回はそんな出川哲朗さんの実家に焦点を当てて出川哲朗さんの生い立ちや家族関係、実家について出来るだけ詳しく調査報告をして行きたいとおもいます。
出川哲朗さんの実家は横浜市の海苔問屋の老舗「蔦金海苔店」(株式会社蔦金(つたきん)商店1894年〈明治27年〉創業)が実家となっています。
明治27年に創業ということは現在でなんと128年の長きに渡って創業しているのです。
社長は出川哲朗さんの長兄である「出川雄一郎」さんが務めています。
出川哲朗さん自身は3人兄弟の末っ子で、この海苔店の社長のお兄さん(64歳)とお姉さんの峰子(みねこ)さん(62歳)がいます。
出川哲朗さんの実家でもあるためこの海苔店は出川哲朗さんのコラボ商品の「元気のりのり」は子供さん達にも大人気の商品となっています。
この商品のキャッチフレーズが「栄養満点の海苔を食べて今日も元気のりのり!」です。
この会社は出川哲朗さんの家族が経営しており、一時は出川哲朗さんも取締役として経営に参加していました。
商品の一つには出川哲朗さんの顔写真をパッケージに印刷した「元気のりのり」が販売されていています。
この商品は番組でも何度か取り上げられ、その都度お兄さんの「出川雄一郎」さんも出演していました。
出川哲朗さんの実家が経営する海苔問屋は創業が明治27年という横浜でも有名な老舗海苔問屋なのです。
当初は東京湾で生産される海苔を専門に使っていましたが、近年の生産量の減少により、今では宮城県、東京湾、伊勢志摩、瀬戸内、有明とその商品も幅広く扱っているそうです。
出川哲朗実家の海苔問屋と横浜市の関係
現在ではこの海苔の生産量が一番多いのは有明海で国内生産の約4割を占めるそうです。
中でも佐賀県が全国一の生産量を誇っているそうです、そしてその次は瀬戸内の兵庫県だということです。
現在では海苔の需要は増えているのですが、生産量は逆に減っているそうで、入手が難しくなっているのが現状だそうですね。
実家のお兄さん曰く関東と関西では海苔の好みが違うそうで、関東では焼き海苔、関西では味付け海苔がこのまれるそうです。
この出川哲朗さんの実家の海苔店の味付け海苔は焼き海苔同様に有明産の高級海苔で関西のお客様からの評判も「美味しい!」と大変良いそうです。
この出川哲朗さんの実家の海苔店では祖母の実家が横浜でかつお節問屋をやっていたことから、海苔だけに限らず、椎茸、昆布、鰹節も扱っていて、今では百貨店などにも出店しているそうです。
鰹節などは若い人からも大変興味を持たれているそうです。
実家のお兄さん達の努力の賜ですね。
そしてこのお店は「ハマハグ」という横浜市が立ち上げた子育て家庭応援事業にも参加しているのです。
この「ハマハグ」のポリシーは
「なんだか冷たい目で見られた。うちの子供がうるさかったのかな?
赤ちゃんが泣き出して止まらない。どこかで授乳できないかな?
子供連れのおでかけを、ためらってしまう。お出かけ先で困っても、誰に相談していいのかわからない。
そんな子育て中の方、妊娠中の方を、横浜のお店、施設が応援。
こどもとおでかけする毎日を、もっと幸せにするお手伝いをします。」
引用:ハマハグ
こんなお店がお出かけ先にあったら小さい子供さんを連れたお母さん達は大助かりですよね。
出川哲朗実家の母の教え
出川哲朗さんの幼少期についてはお兄さんの雄一郎さんが語ったところによると。
「小柄で可愛い顔をしていたので幼い頃からみんなに可愛がられていましたよ」と語っていました。
出川哲朗さんが小さいころはお姉さんべったりでいつも「お姉たん、お姉たん」と一つ上のお姉さんにべったりの甘えん坊だったそうです。
出川哲朗さんの実家の海苔問屋は順風満帆な経営をしていましたが、父親がサイドビジネスに手を出して多額の借金を抱えてしまい、倒産の危機に見舞われたのです。
出川哲朗さんが実家にいた頃はお兄さんと一緒に家業の海苔問屋を一緒に経営すると言っていたそうです。
状況が変わってからは出川哲朗さんは実家を出て外で働くと言い出しました。
そうして高校を卒業後に住み込みで滋賀県の尼寺に精進料理の修業にでかけましたのです。
しかし、役者になりたいと言って修行に出かけたのもつかの間、約半年で実家へと戻って来てしまいました。
この時にお兄さんは大反対したそうですが、実家のお母さんは出川哲朗さんの思いに寄り添い、賛成してくれたのでした。
「いいじゃない、自分のやりたいことを見つけたんだから、頑張ってやりなさい」と背中を押してくれたのです。
そして出川哲朗さんは映画監督の「今村昌平」さんの設立した「横浜放送映画専門学院」へと入学して実家から通うようになったのでした。
そんな出川哲朗さんの実家の母親の教えは「やりたいことはブレずにやり続けろ」だったそうです。
出川哲朗さんにとってはこの実家のお母さんは強い味方となってくれたんですね。
出川哲朗実家のまとめ
出川哲朗さんの実家というテーマで今回は実家の方を重点的に調査して見ました。
出川哲朗さんの実家は横浜市で海苔問屋「蔦金商店」というお店を営業しており、創業が明治27年で今年(2024年)でなんと128年という年輪を重ねているのです。
今では、この海苔店の社長は出川哲朗さんのお兄さんが務めておられ、出川哲朗とコラボした商品もあり大変な人気海苔店となっているのです。
芸能界における出川哲朗さんはデビュー当時は「汚れ役」や「イジられキャラ」としてバラエティー番組に欠かせない存在となってきました。
そして女性ファッション誌などが毎年行う、読者アンケート「嫌いな男ランキング」で5年連続の日本一に輝き今では「殿堂入り」としてアンケートの対象から除外されているのです。
そんな積み重ねもあって今では逆に好感の持てる「イジられキャラ」として認知度が全国区となっているのです。
また日本人が大好きな映画「男はつらいよ」にも連続で5回も出演するなど俳優としての実力も各界から認められる存在となって来ました。
今回の調査で出川哲朗さんの実家の様子がかなり詳しく調査報告出来たことと思います。
出川哲朗さんは今芸能界ではバラエティー番組におけるお笑いタレントとしてトップクラスの活躍を見せています。
実家で育った幼少期の両親や兄姉の教えが根底にあることは言うまでもありません。
これからも末永く出川哲朗さんの芸能界における活躍を期待して止みません。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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